それを目にし、マリーは叫んだ。

だから早いって! もっとよく考えて!?

マリーは周囲を見回した。ユニスを見、スピナに視線を投げ、そしてリルを見つめる。そしてその豊かな双丘を指差して宣言した。

はんにんはおまえだ!

胸を指ささないで!

反射的に胸を両腕で隠し、リルは叫ぶ。犯人はOlに処断されかねない今、彼女達も必死だ。

待って、よく考えて! ローガンは胸を刺されて即死してるんだよ!?ダイイングメッセージなんて書いてる暇ないじゃない!

リルの言葉にはっとして、マリーはローガンの死体を見た。

まって!

そしてリルに手の平を向け制止すると、しげしげとローガンを見て、言った。

ローガンはそくししてるダイイングメッセージなんてかけるわけがない!

うんそれ今私がいったよね?

リルはちょっと黙っていてくれ

メリーに言われ、釈然としない表情でリルは口をつぐむ。

呟き、マリーは顔を上げると、Olの足元にすがりつくようにしてぴょんぴょん飛び跳ねた。

Olさま、みみかしてっ

なんだ?

屈んで耳をマリーに向けるOlに、メリーは素早く法術をかけた。眠気を強化され、彼の意識は瞬く間に夢の世界へと向かい、その場に崩れ落ちた。

マリーはさっとその後ろに隠れると、出来る限り低い声色を作っていった。

なぞはすべてとけた

いや今、目の前で隠れむぐぅ

余計な事を言おうとするリルの口を、スピナが塞ぐ。

はんにんはおまえだ!

そう言って、マリーはユニスを指差した。

いや、マリーが指しちゃ駄目じゃん

ふーんあたしが犯人だって言う証拠でもあるの?

リルの呟きを無視して、ユニスは不敵に腕を組み、マリーを見下ろした。マリーはこくりと頷き、彼女の腰を指差す。

だって血のついた剣持ってるもん

あっちゃあ~バレたか~

彼女の腰には抜き身の、血のついた剣がぶら下げられていた。

さすがマリー、名探偵だね!

えへへ

誉める真犯人の言葉に、マリーは照れてモジモジとはにかんだ。それを一同は微笑ましく見つめる。しかし、その表情は一瞬後、恐怖に凍りついた。

ユニスまさかお前が裏切者だったとはな

迷宮の主が怒気をはらんだ眼差しで見つめていたからだ。

あ、あのね、Ol、これは

いかなる理由があろうと、裏切り者は処罰しなければならん

止めようとするリルをぐいと押しやり、Olはユニスに近付き彼女に覆いかぶさるように、抱きついた。

罰としてこのまま俺をベッドに運べ。眠くてかなわん

軽いどころの話ではない処分に、ユニスは目を見開いた。

ただの茶番よりは、多少は暇も紛れただろう?

Olはニヤリと笑ってみせる。

や、やられた!

私は最初から、そういう事だとわかっておりました!

悔しそうにリルは唸り、スピナはうそぶく。

もしかしてお仕事終わったの?

両腕にOlを抱きかかえながらユニスが問うと、Olは欠伸を噛み殺しながら答える。

設計はな。明日からは、実際の製作の開始だお前達にも手伝って、もらうからそのつもりで

言葉の途中で段々彼の言葉は不明瞭になり、ゆっくりと目を閉じる。

おつかれさま、Olさま

その琥珀色の髪を撫で、マリーは囁いた。

じゃあ、寝室までご主人様を運びましょうか

はーい!

リルの言葉に元気よく返事し、5人の娘達はOlの身体を支えてその場を出て行く。

Ol爆発しろ

その後に、起き上がるタイミングを逃し、倒れ伏したたままのローガンを残して。

番外編3マリタロウ

マリタロウ

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんとおばあさんとおばあさんが住んでいました。

おばあさん多い!?

そもそも、リルはともかく私達までお婆さん扱いなのは

まあまあ、おじいさんはOlなんだからいいじゃない

おじいさんは山へダンジョン掘りに、おばあさんとおばあさんとおばあさんは川へせんたくに行きました。

おばあさん達が川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。そして、瞬く間に流れさっていきました。

ごめん地下水脈の流れ舐めてた! はやいはやい!

任せてください、はっ!

黒髪のおばあさんは即座に粘体化すると、桃を拾おうと手を伸ばしました。

あ、駄目です桃重い

スピナー!?

しかし、桃の重さと流れの速さに引きずられ、一緒に川を流れていきます。

任せて! はっ! あ、駄目だ、桃ほんと重い

ユニスー!?

赤い髪のおばあさんが瞬時に転移しますが、彼女もまた流されていきます。

一体お前達は何をやっておるのだ

結局おじいさんに助けられ、呆れ顔でいわれてしまいました。

とにもかくにも、おじいさんとおばあさんとおばあさんとおばあさんは桃を食べようと桃を切ってみることにしました。

黒髪のおばあさんは鉈を構え、斜めから袈裟ぎりに

って待てー! 何で斜めに切るの!? 縦か横にしておきなさいよ!

中の人を確実に両断しようと

両断するな! ちゃんと縦に切りなさい、縦に

羽の生えたおばあさんに言われ、黒髪のおばあさんは渋々縦に切りました。

すると、なんと中から元気の良い女の赤ちゃんが飛び出してきました。

これはきっと、神さまがくださったにちがいない。

子どものいなかったおじいさんとおばあさんとおばあさんとおばあさんは、大喜びです。

桃から生まれたので、おじいさんとおばあさん達は女の子をマリタロウと名付けました。

いや待って。桃関係ない

そもそも女の子にタロウって

マリタロウはスクスク育って、やがて愛らしい女の子になりました。

そしてある日、マリタロウが言いました。

わたし、鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治します

マリタロウはおばあさん達にきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。

旅の途中で、イヌに出会いました。

マーリタロさん、マリタロさん

イヌは歌いながら、マリタロウに近付き、言いました。

お腰につけたその野太いおチンポでこの雌犬のオマンコズポズポ犯して奥にたくさん精液注ぎ込んで赤ちゃん孕ませてくださいぃぃぃ!


わたし、女の子だからおちんぽないよ?

そうですか、残念です

酷い出オチでした。

でも、Olさまならたくさんしてくれると思う

ついていきます、地の果てまでも!

こうして雌イヌがマリタロウのおともになりました。

そして、こんどはサルに出会いました。

マリタロウさん、マリタロウさん

サルは生真面目な調子でマリタロウに話しかけました。

お腰に付けたきび団子を1つ下さい。そうすれば、おともします

うん、いいよあっ

マリタロウは腰に何もつけていないことに気付きました。

作るだけ作ってもらって、受け取るのを忘れたのです。

ごめん

いえ

サルは少し困って考えると、言いました。

なくても大丈夫です

いいの?

はっ。Ol様から、マリタロウ様をお守りせよと言いつかっておりますので

サルはおじいさんの回し者でした。

こうしてサルもマリタロウのおともになりました。

ママリタロ、さん、ぜぇ、はぁマリ、タロウ、さんはぁ、はぁ

そしてこんどは、キジに出会いました。

キジは全力で走ってマリタロウに追いつくと、息も絶え絶えに声をかけました。キジは体力が無いのです。

だいじょうぶ?

だいはぁはぁじょ、はぁごめ、はぁやっぱはぁ、はぁ、無理

マリタロウは優しい子なので、彼女の体力に一定の理解を示しました。

マリタロウ。このきび団子を忘れているわ

キジは息を整えると、髪をかきあげてきび団子を渡しました。おばあさん達から預かっていたのです。

ありがとう!

べ、別にあなたの為じゃないから勘違いしないで。おじいさんに頼まれたから、仕方なくもってきただけなんだから

キジは酷いツンデレでした。

じゃあ皆で、きびだんご食べよう!

マリタロウが包みを開くと、そこには5つのきび団子が入っていました。

素朴で暖かい、羽の生えたおばあさんのきび団子。

不恰好だけど心の篭った、赤い髪のおばあさんのきび団子。

究極まで真球に近付く事を追求した、黒髪のおばあさんのきび団子。

そして丸く整った几帳面さが滲み出るのは、おじいさんの作ったきび団子です。

4人はそれを分け合い、美味しく食べました。最後に残った一つは、真っ黒で怪しげなきび団子でした。

それはけして食べてはいけないと言っていたわ

一体何を寄越したんだ、Ol様!?

ロクでもないものに決まっていました。

こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れたマリタロウは、ついに鬼ヶ島へやってきました。

よくここまで来たな、マリタロウ

鬼ヶ島では、四本の腕と山羊の頭を持つ赤い鬼が待ち構えていました。

その時点で大体オチが読めるので、鬼との戦いは省略します。

待て待て待て待て! 省略すんなー!?

省略します。

ふざけんな! 断固俺は戦うぞ!

仕方ありませんね。マリタロウさん、黒いきび団子を投げてください。

おい地の文、ナチュラルに登場人物と会話すんな

マリタロウがぽーいと投げると、きび団子は鬼の顔にべっとりと張り付きました。

なんだこりゃ

鬼がきび団子を拭い取ると、団子はうねうねと蠕動しながら鬼の身体を取り込んで瞬く間に巨大化しました。

スライムじゃねーか!

そうです、黒い団子は黒髪のおばあさん特製、魔喰いスライムだったのです。

だったのです、じゃねぇぇぇぇぇぇえ!!

魔力で出来た悪魔もとい、鬼はひとたまりもありません。

とうとう鬼は、

まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ

と、手をついてあやまりました。

しかしその頃には、マリタロウとイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、おじいさんの手配した地下道を通って家に帰っていました。

放置プレイしかしそれもマリーの愛と思えば!マリーちゃんマジ天使!

断末魔の声をあげ、鬼はこの世から消え去りました。死にました。

おじいさんとおばあさんとおばあさんとおばあさんは、マリタロウの無事な姿を見て大喜びです。

黒いおだんごありがとね、そふぃ

べ別に、あなたの為に造ったわけではありません。勘違いしないで下さい

黒髪のおばあさんも酷いツンデレでした。

そしておじいさんとおばあさんとおばあさんとおばあさんとマリタロウとサルとイヌとキジは、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。

めでたし、めでたし

ミオが本を読み終わると、マリーはすやすやと寝息を立てていた。

っていうか地の文ミオだったの!?

リルの言葉に、にっこりと笑顔でミオは頷く。

キャラ変わってない? 大丈夫なの?

大丈夫です

ミオは胸を張っていった。

これは番外編ですから!

酷いメタネタだ!

めでたしめでたし。

配役

おじいさん・・・Ol

おばあさん・・・リル

おばあさん・・・ユニス

おばあさん・・・スピナ

マリタロウ・・・マリー

雌イヌ・・・Shal

サル・・・ナジャ

キジ・・・ウィキア

鬼・・・ローガン

きび団子・・・魔喰いスライム

逃走経路・・・真メインヒロイン(ダンジョン)

地の文・・・ミオ

現実のツッコミ・・・リル

番外編4魔王の後日談

時系列はいずれもエピローグのちょっと後です

- 1 -

太陽の光を受けて輝くスターコア。

それを見つめながら、ゆっくりとメリザンドは聖句を紡いだ。それは聖なる霊を呼ぶ声。

紡いだ詩は糸となって天へと登り、彼女の失われたもう一つの半身を紡ぎ上げた。

これはまあ、随分と見違えたな、ボス

彼は記憶にあるのと全く同じ軽薄な笑みを浮かべ、そう言った。

美しくなっただろう?

ああ。綺麗になったな

不死身の記憶にある幼い彼女とは、まるで違う姿。しかしそれでも彼は相棒の姿を見誤ったりはしなかった。同じ魂から削り出された英霊。いわば、彼もまたメリザンドの双子の様なものだからだ。

ところでこれはどういう状況なんだい?アレからそんなに時間は経ってないはずだけど魔王は一体どうしたってんだ?

呼んだか?

影から姿を現す魔王の姿に、一瞬不死身は身を強張らせる。しかし、彼に向けるメリザンドの表情を見て、彼は全てを理解し警戒を解いた。

なるほど、ね。ボスが世話になったみたいだな

短く答え、魔王は頷いた。

まあ、追々説明してやる。時間はたっぷりとあるといっても以前に比べたら、随分減ったがな

嬉しそうに笑い、メリザンドは言った。

それよりザンドよ、一つ聞きたいことがあるのだが

なんですか、そのザンドってぇのは

メリザンドの言葉を遮り、不死身は尋ねた。

私は今、メリーと呼ばれている。ならばお前はザンドだろう。いつまでも不死身などと呼ぶのも味気ないしな

少女は見た目の歳相応の笑顔を浮かべ、似合わない尊大な口調でそう言った。

お前、最後に何か言いかけていって消えただろう。8年間、ずっと気になっていたのだ。なんと言おうとしたのだ?

問う彼女の頭をくしゃりと撫で、不死身いや、ザンドは笑みを返し、意地悪く言った。

教えてやんねぇ

な! 貴様、何の為に呼んだと思ってるんだ!

ははははは! マジでそんな事の為に英霊呼んだのか、馬っ鹿じゃねぇのかあんた!

両手をあげて掴みかかろうとするメリザンドの頭を抑えながら、ザンドはこみ上げてくる笑いを我慢せずに解放した。

教える必要などない。もう、その後に続く願いは成されているのだから。

- 2 -

その主の性格をそのまま部屋にしたかのような、塵一つ落ちていない執務室。耳が痛くなるほどしんと静まり返ったその部屋の中には、微かに羽ペンの走る音だけが響いていた。

まるで空中に固定されてでもいるかのように机の上を見つめ、ペンを走らせていた部屋の主であり、グランディエラ王国の宰相トスカンはふと顔を上げた。

にわかに部屋の外が騒がしくなり、どたどたと粗暴な足音が聞こえた。不心得者でも乱入したか。トスカンは傍らの杖を手に取り、構えた。しかし、ふとその足音に妙な既視感を感じた。遠い昔に、それと同じ音を聞いたことがある気がする。

彼がその記憶を思い出す前に、扉は豪快に蹴破られた。

トスカンいるか!

無礼者、と叫ぼうとしたままの体勢で、トスカンはあんぐりと口を開けた。

おお、いたいた

扉を蹴破り、ニヤニヤと笑みを浮かべるのは見間違えるはずも無い。髪も髭も真っ白になってはいるが、彼が仕え、その生涯で最も多く時間を共にした王英雄王ウォルフディールその人の姿だった。

へ陛下?

トスカン様! 陛下の姿を真似た不届き者が、ここに!

そこに、槍を持った兵士達が駆けつけてきた。トスカンはその光景を見て、久方ぶりに感じる頭痛を覚え、兵士に向かって手を振った。

問題ない。彼は私への客人だ。少々、性格に難があるがな

し、しかし

良い。少なくとも、敵ではない。下がっていろ

トスカンの言葉に不承不承ながらも、兵士達はその場を離れた。

性格に難があるとは、いってくれるな、トスカン

あなたならば誰にも気付かれずに侵入する事もできるでしょうに、わざわざ私の仕事を増やしてくれたのですから、そのくらいは受け入れてください。お久しゅうございますな、陛下

跪くトスカンを、ウォルフは制止した。

良い。俺はもう王ではない。そのような重い代物、あの魔王にくれてやったわ。ここにいるのはただのウォルフディール。死に損ないの亡霊よ。お前も昔の様に話せ、トスカン

そうですかでは、お言葉に甘えて

トスカンは立ち上がると、息を整えた。

っの馬鹿野郎がぁぁぁっ!

そして全力で、杖でウォルフを殴りつけた。甘んじてそれを受ける英霊王の身体に、杖は中ほどから折れ弾けとんだ。

好き勝手やって、好き勝手に死んだと思ったら、今更帰ってくるだ!?どの面下げてやってきやがった! 俺が俺が、どんな、思いで!

すまなかった

ウォルフは深々と、頭を下げた。それを見て、トスカンの眦についに涙が浮かんだ。

馬鹿、野郎こんな、こんな歳で、今更俺の夢が叶ったって

夢?

お前にいっぺん、頭を下げて謝らせるのが、夢だったんだよ

目を閉じれば今も鮮明に思い出せる。無謀で、愚かで、誰よりも勇敢だった英雄ウォルフ。その尻拭いをするのはいつも冷静で理知的な魔術師、トスカンの仕事だった。彼に対して悪びれもせず謝る事は数あれど、頭を下げられた覚えは一度も無い。

まだ王になる前のウォルフ。後に彼の妻となる王女ユードラ。そしてウォルフの乳兄弟であり、兄貴分のトスカン。三人で旅をしたあの時代は、彼の青春の思い出として強く胸に焼き付いていた。

ところで一体全体、どういう事なのか説明してくれ

うむ。本当はユニスとザイトの奴も連れてきたかったのだが

待て。姫様と殿下も生きてらっしゃるのか!?

生きているわけではない。亡霊の様なものだといっただろうが。とは言え、奴らは自分の身体もあるし、生きておるのとそう大差は

生きてるんだな!?

トスカンは英霊王の胸倉を掴んで凄んだ。

う、うむ。しかしお前これは流石に不敬じゃないか

知った事か! どこだ、どこにいる!? 魔王の元か? ならば全力で

ええい、落ち着け!

目を血走らせるトスカンを怒鳴りつけ、ウォルフは彼の肩に手を置いた。

安心しろ、ユニスは無事だ。ただ、今は少し障りがあるのでな。移動を控えておるだけだ。ザイトもその守りについておる

障り? お身体がどこかよろしくないのか?

心配そうに聞くトスカンに、ウォルフは渋面で首を横に振る。

経過は順調今ちょうど、4ヶ月だそうだ

トスカンは目を見開いた。

まさか

魔王の子だ。暴れるなよ、本人も望んでの事だ

先ほどから柄になく興奮するトスカンの血圧が若干心配になりつつも、ウォルフは自身も腹立たしい思いがあるのか、苦々しい口調でそう言った。

長生きは、するものだな

トスカンの、皺に覆われた頬を涙が伝った。ユードラが命を賭けて残していった彼女は、トスカンにとっても我が子同然に可愛いものだった。その運命がウォルフやザイト同様、英雄として無残に死ぬ定めにあると聞いた時には、天を呪ったものだ。

その救いの手が、魔王から差し出されたとは出来すぎにも程がある。

子が生まれたらまた挨拶に来る。その時は魔王も連れて、こっそりとな。奴にも頭を下げさせてやれ

馬鹿を言うな、生まれたばかりの子をこんな所まで運ばせられるか!俺が直接行くぞ、魔王陛下に挨拶せねば。ああ、祝いの祭典の手配もしなければ!今4ヶ月だと? あと半年もないじゃないか! ああ、忙しくなってきた!

祭典ってお前、あまり大事には

ユニス様のお子様だぞ!? これ以外に大事にすべき事などあるか!医師や僧侶の手は足りているのか? ユードラ様の時の様な失態は二度と繰り返さんぞ。おい英霊王、魔王陛下にお届けする書面をしたためるからちょっとそこで待ってろ

仮にも英霊王を使い走り扱いするその傲岸不遜な物言いにウォルフは笑い、かつての彼を思い出した。常識人のフリをして、一番歯に衣着せずズケズケと物を言う彼に昔は随分やきもきさせられたものだったのだ。

しんと静まり返ったその部屋の中、再びペンの走る音だけが鳴る。しかし、その音はどこか楽しげだった。

- 3 -

大丈夫か、ユニス?

お兄様、もう今日で14回目だよ、それ聞くの

クッションで溢れかえったベッドの上で、ユニスは呆れた声をあげた。

大体、まだお腹が目立ってきてもいないのにこんな寝てばっかりいたら余計に身体に悪いってば

ぬ、しかしだな

オリヴィアさんとか出産経験者たくさんいるし、魔術の使い手も法術の使い手もいるんだから、多分世界で一番安全なお産だと思うよ

身軽な動作でひょいとベッドから降り、ユニスはそう言った。不安が無いといえば嘘にはなるが、それよりも安心の方が大きい。転移は胎内の子にどういう影響があるかわからないという事なので控えているが、つわりも治まり身体も大分楽になってきた。

英霊でも、赤ちゃん産めるもんなんだね

お腹を優しく撫でながら、ユニスは呟く。Olが魔術でしっかり保護していたとは言え、数ヶ月魂の抜けていた身体だ。子を作れるかどうかは五分と五分、出来なくとも仕方ない。

そういいつつも8年、殆ど毎日情を交わしたが、月の物はあるものの子は全くできる気配はなかった。それが、まるでOlの新しいダンジョンの完成を祝うかのように子が出来たのだ。

何か必要なものがあればすぐに言え。世界の果てにあるものだろうとなんとしてでも取ってくるからな

はいはい。大丈夫だから

大きな身体で兄がオロオロとする様は可笑しいが、あまり寝室内にいられても邪魔くさい。ユニスは手を振り、彼を追い出そうとした。

そんな彼女に、ザイトリードは口を開け、何かを言おうとしそして今日も、いえなかった。

すまなかった

ただその一言が、喉から先を出ない。8年間、ずっとだ。なんと意志薄弱な事か、とザイトリードは自分をあざ笑った。

お前は今、幸せか

部屋を出ながら不意に口を付いて出たその言葉に、ユニスはきょとんとしてザイトリードを見つめた。何を言っているのかわからない。そんな表情に、ザイトリードはそんな事を問うた事を一瞬、後悔する。

あったり前でしょ!

しかし、一瞬は一瞬だった。それはすぐさま、妹の掛け値なしの笑顔によって吹き飛ばされる。ユニスは腹をさすりながら、太陽の様に笑った。

大好きな人の子を産めて。お兄様も、お父様もいて。皆がいて。これで幸せじゃないわけ、ないじゃない

まるでこの世の全ての幸せがここにあるとでも言わんばかりの表情で、彼女は朗らかにそういった。

そんな彼女を、彼は、一度殺したのだ。

でも、それもお兄様のお陰だよね。ありがとう

だから、ぺこりと頭を下げる彼女にザイトリードは心底驚いた。

礼を言われるような事はしていない。俺は、お前を

殺して、くれた

にっこり笑い、ユニスはいった。

あたしが自分の意思でOlを殺すならよし。そうでないなら、殺せ。お父様が、そう命じたんでしょう?

ザイトリードは断罪される思いで、それに頷いた。

あたしがOlを愛したまま彼につけば、いずれあたしはOlを己の意思でなく、殺さなければならなくなる。記憶をなくすか、操られるか、裏切りかいずれにせよお互い憎しみ合い、殺しあう事になる。それが、英雄の運命なんだって。お兄様はあたしを殺す事で、その運命を変えてくれた。あたしを愛を抱いたまま、天に向かわせてくれた

大切なものを抱くように胸に手を当て、ユニスは語る。

だから、今こうしていられるのは、お兄様のお陰なの。あたしを、殺すの辛かった?

それは8年間、彼女がついに聞けなかった事だった。蘇生したとはいえ、Olは彼の妻を殺させている。ユニスは彼らを裏切り、魔王についた。幼い頃からユニスが憧れ追い続けた背中は、頼もしいが何も語ってはくれなかった。

愛を疑ったことはない。兄は常に妹を気遣ってくれた。しかし、その裏に疎ましさが、憎しみがあるのではないか。そう思うと、尋ねる事は出来なかった。礼を言う事ができなかった。彼女もまた、確かめるのが恐ろしかったのだ。

当たり前だ!

ザイトリードは、ユニスを抱きしめた。巨躯を誇る彼の身体に対し、ユニスの身体はあまりにも小さく、儚いように思われた。

お前は、俺のたった一人の妹なのだから辛くなかった訳がないだろう。すまな、かった

ザイトリードは彼女と、彼女の腹の中の子を潰さぬ様細心の注意を払い、ユニスを抱きしめた。その頬を伝う涙を、見られぬように。

- 4 -

かつてはフィグリアと呼ばれた国の端、今は魔の国の中央にある小さな村の、更に外れ。ひと一人近寄らぬ何もない丘のふもとに、その小さな石は置かれていた。

よほど注意してみなければわからないほど無造作に置かれたそれは、しかし、確かに墓石であった。文字も何も書かれていないその石の前に、スピナは花を供えた。

その表情には、いかなる感情も浮かんでいない。怒りも、悲しみも、憎しみも、何も浮かんではこなかった。

ソフィ

そんな彼女の背中に、あどけない声がかけられる。かつてソフィアと呼ばれていた少女は振り返ると、金の髪を持つ幼い同郷の少女を目にした。

マリー

彼女がどうしてここに、と問う前に、マリーは墓石に視線を移し、尋ねた。

お母さん?

ええ

それは、スピナの母の墓だった。スピナを気味悪がった村人達に遠ざけられ、元から身体の弱かった母は満足な治療を受けることも出来ず、最後までスピナを憎み、恨みながら死んでいった。

何度も何度も、殺してしまおうかと思いました

しかし、それは結局成される事はなかった。実行に移す前に、彼女は勝手に死んだからだ。

ふーん

物騒な告白を、しかしマリーはあっさりと流した。

知っていますか?

スピナはそんな彼女の首に、指を回した。

あなたの事も、そう思ってたんですよ

うん、知ってるよ

しかし、マリーはそれにもあっさりと答える。

だってソフィ、いっつもわたしのこと嫌いっていってたし

半分スライムとなったスピナは、歳をとらない。そんな彼女に幼い少女は瞬く間に追いついてきた。そしていつか追い抜き、遠くへ行ってしまうのだろう。

スピナは指を外すと、話題を変える事にした。

ローガン。あなたがマリーを連れてきたのですか

スピナがそういうと、マリーの影がびくりと震えた。

仮にも魔術師の私から隠れられるわけがないでしょう

うるせぇ!

冷たく指摘すると、赤い悪魔はマリーの影から飛び出し、叫んだ。

このロリコン紳士ローガン様がだなぁ、13歳以上のババアの手助けをするなんて事が知れちゃあだなあ!

でも、ローガンわたしの事好きだもんね。ここまで運んでくれてありがと

その逞しい腕をぎゅっと握り、マリーはにっこりと微笑む。

いや、嬉しかねえ。嬉しかねぇぞ!

彼は何か、アイデンティティのようなものを賭けて戦っているようだった。

ちょうどいい。私も運んでください。お師匠様の手を煩わせるのは申し訳ありませんから

だからババアの手助けはしないっつっただろ!? 話聞いてましたキミ!?

ローガン、お願い

~~~~~~! 誰にも、言うんじゃねぇぞ!絶対だからな、これっきりだからな!?

両手を合わせておねだりするマリーに叫び、ローガンは彼女達を左右四本の腕で抱えた。

あ、そうだ

マリーはスピナの方を向き、にっこりと笑い、言った。

わたしは、ずーっとソフィの事、好きだったよ

そうですか。私はあなたが嫌いです。今でも

そっけなく答えるスピナに、しかしマリーは笑みを崩さない。

わたしだって、ソフイよりOlさまの方が好きだもん。Olさまいちばん、ソフィはにばん

その言葉に、スピナはムッと眉を上げて答える。

私だってあなたよりお師匠様をお慕いしております

その答えに、マリーはにんまりと笑った。

やった、じゃあわたしは二番だ

なっそういう意味では!

顔を赤らめ、スピナは否定する。マリーちゃんマジ小悪魔、とローガンは心の中で呟いた。

なあ、ちなみに俺は何番目なんだ

ローガンの問いに少し考え、二人は声を揃えて答えた。

迷宮に落ちてる石の次くらい

ひでえ!?

こんなに尽くしているのに、と心の中で泣きながら、ローガンは二人を抱えて空を駆ける。

残された墓前の花が、風に吹かれ小さく揺れた。

番外編5魔王の前日譚

-70 years

一筋の光も注さぬ、荒涼とした不毛の大地。人間が足を踏み入れればその足は竦み、重圧と瘴気に吐瀉物を撒き散らしながら息絶えるだろう。そんな魔界の片隅に、ゆらゆらと小さな灯火が舞い降りた。

その炎は小さく、琥珀色に輝いていた。それは人間の魂の輝きだ。炎は揺らめきながら周囲の魔力を纏う様に絡め取ると、ゆっくりとその輝きをなくし濁っていった。

そして徐々に膨張し、長く伸びる。楕円形の輝きはやがて頭と胴にわかれ、手足が伸び、まるで胎児が成長するかのように徐々に人の形を成していく。

やがて炎は闇の中で一際暗く闇色の光を放つと、蝙蝠の翼と山羊の角、見事なプロポーションを持つ女の姿へと変化した。

ここは私は?

女悪魔は戸惑うようにきょろきょろと辺りを見回す。

己が悪魔である事、淫魔である事は何と無くわかる。しかし、それ以外の記憶と言うものが完全に欠如していた。それも当然の事だ。彼女は今、生まれたばかりなのだから。

生まれたばかりのこの悪魔は、後にリルと呼ばれることになる。

-60 years

つまり、魔術をどれだけ使ってもこの世界から魔力が失われる事は無い。これを魔力量保存の法則と言う。つかわれた魔術はやがて魔力として発散し、雨などによって大地に吸収される。大地に宿った魔力は龍脈の流れに乗って世界中を流れ、それを吸って育った草木を鹿や鳥が食べる。その鹿や鳥を更に大型の獣が食べ、それらはやがて死によって大地に帰る。こうして、魔力は世界中を巡っているのだ

黒板に白墨で文字を書き連ねながら、彼は流れるように言った。最後の一節を言い終え、カッ、と音を立てて文字を書き終えた所で鐘が鳴る。いつも通りの、計算し尽くされた完璧な時間配分だ。

今日の講義はここまで。質問のある者は直接私の研究室まで来る事

彼は事務的にそう言い、ローブを翻して講堂を出た。

アイン先生!

その背を一人の女生徒が追いかけ、駆け寄った。

あの、講義で、わからなかった場所があるんですけど

頬を染め、緊張した面持ちでそう言う彼女を、アインは冷たい目で見つめた。

いいだろう。私の部屋にきなさい

んっ、あぁ、あ、あぁぁぁぁぁ!!

アインは、己の上で腰を振りたくり、気をやる女生徒の胎内にその欲望を存分に吐き出した。女生徒はぐったりと彼の胸に頬を寄せ、身体を預けながらうっとりと呟く。

まさかアイン先生とこうなれるなんて嬉しいです。とっても素敵でした

女生徒はそっとアインの頬に唇を寄せ、囁く。

愛してます、先生あなたの為ならこの命だって惜しくありません

その言葉に、アインはピクリと眉を上げた。

そうか。ならば

彼は枕元においたナイフを手に取ると、鞘から引き抜いて女生徒に渡した。

命が惜しくないというのなら、死んで見せろ

冗談、ですよね?

意を計りかね、女生徒は曖昧な笑みを浮かべて問う。アインは微笑んで頷いた。

もちろん冗談だ

ほっと胸を撫で下ろす女生徒に、アインは笑顔のまま言った。

本心はこちらだ。俺を殺してみろ

私を、からかっているのですか?

表情を曇らせ問う女生徒に、アインは首を横に振る。

いいや。今度は冗談ではない。本当に愛しているというなら俺を殺してみろ。それが出来ないのなら、死ね

失礼します!

女生徒はナイフを投げ捨て、ベッドの脇に落ちた自分の服を身に纏うと扉を乱暴に開け、涙を流しながら立ち去った。

何を、しているのだかな

ほんの少しでも期待したのか。それとも、別の答えを望んでいたのか。

後に魔王と呼ばれる若き魔術師は、ベッドに腰掛けため息をついた。

-50 years

やー!

まだ幼い、舌足らずな声。その掛け声と共に弾き飛ばされた木剣と己の手、そして己が息子を、フロスは交互に見つめた。

やった、やったぁ!

もちろん、幼い子供相手だ。手加減はしていた。しかし、傭兵として少しは名の知れた彼の剣を弾き飛ばす事など、大人の戦士にだってそうそうできることではない。ましてや、こんな幼い子供が。彼はまだ、5つになるかどうかと言ったところなのだ。

うちの子は天才だきっと誰よりも偉大な戦士になるぞ!巨人を倒し、竜を殺し、国を興すくらいに偉大な戦士だ!

声を上げる彼を、周りの傭兵達は親馬鹿だと笑った。

笑っていられるのも今の内だ。いいか、強くなれ。誰よりも強い男にな。いいか、ウォルフディール!

赤い髪の少年は、無邪気に笑って頷いた。

-35 years

ガーゴイル?

ええ、良い出来でしょう?

村長は胡散臭そうに行商人を見た。琥珀色の髪をした初老のその男が馬車で運んできたのは、見事な細工の悪魔像だ。

へぇ、こりゃ見事だ

村長の息子が目を見開いていった。その精巧な石像は、まるで生きているかのような迫力を持っていた。

これだけ精巧なら、ゴブリンどもや狼はもちろん、疫病だって寄り付きませんよ

にこやかに言う商人をよそに、村長の息子はすっかりその悪魔像に夢中になっていた。こんな恐ろしげな怪物と、剣を持って戦ってみたい。そんな考えにすっかり取り付かれていたからだ。

しかしなあ、この村はあまり裕福ではないし

いえ、そこは勉強させていただきますよ。と言うのもですね、コイツは出来はいいんですが、物が石ですから運ぶのが大変でね。うちの馬も、私と同じでもう随分くたびれてしまっているものですから、ここらで処分してしまいたいのですよ

ほう、なるほどねえ

交渉を続ける親と商人をよそに、村長の息子、ゲオルグは像をぺたぺたと触りながら、空想の翼をはためかせた。彼が冒険者を目指し村を出るのはそれから3ヶ月の後。そして、村に戻り村長に就任するのは、更に20年後の事になる。

-32 years

いくぞ、トスカンッ!

ああもう、お前はいっつもそんなんばっかりだよな、ウォルフディールゥ!

向こう見ずに突っ込む相方にため息をつきながら、トスカンは帽子を押さえ杖を構えた。

くらいなッ!

美女を掴む巨人の腕に向かって跳躍するウォルフの足元に、トスカンは氷の弾丸を撃ち込む。ウォルフはそれを足掛かりにして再度跳躍すると、一撃で巨人の腕を切り飛ばした。同時に、その衝撃に耐え切れず、剣が粉々に砕け散る。

あーっ! また壊しやがった、ちったあ力加減考えやがれこの馬鹿力!

風を纏い、美女を助け起こしながらトスカンは叫んだ。

悪い悪うおっとぉ!

悪びれた様子もなく謝るウォルフを、巨人が殴り飛ばす。ウォルフはそれを真っ向から腕で受け止めた。

へへ、いいぜそういうのは、嫌いじゃねえッ!

ウォルフは己の数倍の大きさの巨人を殴り返す。そして、真正面からの殴り合いが始まった。

美女は目を丸くし、口をあんぐりとあけてその様子を見つめた。

あのっ、助けないのですか!?

あーなったら無理。馬鹿なんだ、アイツ

ウォルフは血塗れになりながらも、巨人の拳を受け、殴り返すのを繰り返す。それを数十分繰り返し、結局最後に立っていたのはウォルフのほうだった。

あなたは狂人なのですか!?

勝者となった英雄に、美女が最初に投げかけた言葉はそれだった。そして、血塗れの彼に駆け寄ると、ドレスが赤く染まるのを気にもかけずに彼の傷を治療する。

ちゃんと勝っただろ?

勝てばいいというものではありません! 大体、英雄が王女を助ける時は、もっとスマートに颯爽とやるものではないのですか!

その辺はずっと言い聞かせてるんだけど、実を結んだ事は一回も無いんだよなあ

怒鳴る美女、ユードラにトスカンはボヤいた。一方的に怒声を上げる彼女と、気にした風もなく笑う英雄が結ばれるのは、それから2年後の事だった。

-16 years

ユーディ!

そんな大声を出さなくても、聞こえていますわ

ウォルフは妻の手を握り締め、彼女の真っ白に血の気の失せた顔を見つめた。

あの子はあの子は、無事なのですか?

ああ。ザイトにそっくりな、赤い髪と緑の目をした、元気な女の子だ

そうですか

ユードラはそっと微笑んだ。

お前の体調が戻ったら、また昔みたいに冒険しよう。俺と、お前と、トスカンとザイトだって、もう十分に戦える。新しく生まれたあの娘が成長したら、親子4人でだっていい。だから

それは、楽しそうね。きっと、すごく、幸せ。そうできたら

できるさ。そうだろう?

ウォルフは彼女の手を握り、目を見つめた。ユードラはそんな彼に微笑みかけると、最後の力を振り絞った。

名前をね、考えたの

名前?

ウォルフは、目の前で命の灯が消えていくのを感じながら、問うた。

ユニスフィニア。あの子の、名前よ。あなたのお陰で、私の人生は幸せだった。けれども、自由は無かった。お願い、どうか、あの子は自由、に

力の抜けていく手を握り締め、ウォルフは誓った。彼女の最後の願いを、必ず守る事を。

-6 years

自分で油を

正気じゃ

呪われた子

ひそひそと交わされる言葉を気にもせず、ソフィアは桶を運んだ。家の扉を開け、ベッドに横たわる母親に声をかける。

母さん。水を汲んできたわ

お前の、汲んだ水なんて飲めるか!

でも、飲まなければ死ぬわ

そういい、ソフィアは水を杯に汲むと母親に差し出した。その水を、母親はソフィアに叩きつけるようにしてかけた。

恐ろしい悪魔の子め。なんで、何でお前みたいな娘が私から

ベッドですすり泣く母親を、ソフィアは無感動に見つめた。

殺して、しまおうか。心の奥底から湧き上がるそんな考えを、彼女は押し殺した。

皆、彼女を悪魔の子だという。ソフィア自身も、そうなのだと思った。きっと彼女は悪魔の子なのだろう。ならばいっそ、地獄の悪魔が迎えに来ればいいのに。

そう思いながら、彼女は再度母親に水の入った杯を突き出した。

-2 years

お父様の、馬鹿ッ!

叫び、部屋を飛び出していく娘をウォルフはため息をついて見送った。

よろしいのですか

ああ。好きにさせよ

彼方から、壁を破壊する豪快な音が聞こえてきた。

壁は直しておけ

同じ調子で聞いてくる宰相トスカンに、ウォルフは渋面を作って答えた。

-1 years

そふぃ、そふぃ

近付かないでください、マリー

おだんご、どうぞ

並べられる泥団子を、ソフィアは冷たい目で見つめた。

これは泥です。食べられません

マリーは少し困ったような表情で彼女を見ると、急に表情を輝かせて泥団子に砂をまぶした。

砂をかけても泥は泥です。食べられません

えぇ

マリーは表情をくしゃりと歪ませた。彼女はそんな顔さえ愛らしく、可愛らしい。それが、ソフィアには憎らしかった。生まれた直後に両親をなくした彼女は、しかし誰からも愛され、村中から大切に育てられた。ただその、その愛らしさゆえに。

見た目がどうであろうと、泥は泥。白かろうが黒かろうが、泥です。食べられる団子では、ありません

憎らしかった。ねたましかった。誰からも愛され、美しい彼女が。いっそ焼けた油をかけてやろうかと思ったこともある。しかしそれでも、彼女は変わらないだろう。彼女は、泥ではないのだから。

近付かないでください

わたし、そふぃ、すきだもん

そうですか。私はあなたが嫌いです

言い放ち、ソフィアは踵を返し足早にそこを立ち去った。本気で歩けば歩幅の差で、ソフィアにはマリーはとても追いつけない。それでも、マリーは必死にその後ろを追いかけた。

ただ一人彼女の事を嫌い、いつだって真っ直ぐに本当の事だけを言うソフィアの事が、マリーは大好きだったのだ。

-1 minute

なんだあれ

空から注す強い光に、リルは笑い転げた。それは人間の魔術師が、悪魔を召喚している時に見られる光だ。要求しているのは、自分達女淫魔。しかし、その光はあまりにも強すぎた。少なくとも、淫魔などと言う位の悪魔を呼ぶような量ではない。明らかに怪しい光だった。

案の定仲間達は誰も食いつかず、光はずっと空に留まる。その光に、リルは不思議な感覚を覚えた。記憶には無い、しかし、どこか懐かしい思い。

たまには人間をからかうのもいいか

リルは手を伸ばし、空から降るその光を手に取った。身体が引き上げられる感覚と共に、彼女は人間の世界へと侵蝕する。

空間を越え、彼女は目の前の男に、そう言った。

そうして、物語は走り出した。

番外編6NGシーン集

★ゆにすけ1(第14話英雄を無残に殺しましょう-6 より)

息子が去った部屋の中、ウォルフはすっと立ち上がると、寝台へと向かった。

うおおおおおユニスぅぅぅぅぅう!! この父を許してくれぇぇぇぇぇえええ!ああああああ俺のせいでえぇぇぇぇぇ! 出すんじゃなかった! 出すんじゃなかった!やっぱり外になんか出すんじゃなかったああああああ英雄制度滅びろ! 魔王滅びろ!

そして横になると、ごろごろと寝台の上を転がりながら彼は叫んだ。しかし、その動きは唐突にぴたりと止まると、彼は風の様な速さで椅子へとすわり、気だるそうな表情で頬杖を突いた。

陛下。御報告がございます

数秒後扉がノックされ、トスカンの声が外から聞こえた。ウォルフは英雄の知覚を持って彼が近付くのを察知したのだ。

うむ。入れ

ウォルフは王に相応しい、威厳を持った態度でそう答えた。

★ゆにすけ2(第14話英雄を無残に殺しましょう-6 より)

彼は部屋を出ると、中庭へと向かい、その豪腕を振り上げた。一撃で地面に巨大な穴が穿たれる。彼のその腕は、ただの力の有り余った凶器ではない。鋭い剣や槍にも勝る英雄の武器だ。その力は集中すれば一点に集まり、深く細い洞窟の様な穴を地面に穿った。

彼はそこに口を近付け、周囲に音が漏れぬよう手を当てると、思いっきり叫んだ。

親父の馬鹿野郎ォォォォォ! 嫌な任務ばっかり俺に押し付けやがってぇぇぇぇぇぇぇ!!また、またユニスに嫌われたじゃねぇかクソがあぁぁぁっぁぁぁぁ!魔王死ね! 100回死ね! 可愛い妹に何しやがったあの糞野郎がぁぁぁぁっ!!

ひとしきり叫んだところで、ザイトリードは人の近付く気配に居住まいを正し、穴をにらみつけた。

殿下いかがなされました?

うむ。庭に穴が空いている。庭師に埋めておけと伝えろ

ザイトリードはいつもの巌の如き表情で、通りがかった兵士にそう命じた。

★ゆにすけ3(第14話英雄を無残に殺しましょう-6 より)

それでは姫様、今はどうかごゆっくり、身体をお休め下さい

うん、ありがとうねトスカン

トスカンが部屋を出、その足音が遠のいた事を鋭敏な英雄の聴覚で確認し、ユニスはベッドをごろごろと転がりまわった。

あーーーーもう、お兄様もお父様もウザいいいいいいい! もー、Olと二人にさせておいてくれればいいのに二人ともばかあああああ! Ol殺すとか嫌にきまってんでしょもおおおお!できなきゃ殺すとかほんっと意味わかんないし!

姫様、よろしいですか? お薬の時間です何か仰ってました?

ううん、なんでもないよ、ありがとう

薬を運んできた侍女を、ユニスは王族に相応しい優雅な動作で迎えた。

★ゆにすけ4(第14話英雄を無残に殺しましょう-6 より)

妹を殺さねばならぬかも知れん

まあ。ユニスちゃんを?

父の命だ、了承はしたが正直気が重い。兄に殺されるなど悲劇中の悲劇だ。間違いなく俺の剣はユニスを殺すだろう

内心を吐露するザイトリードに、少し困ったようにヒルダは答えた。

だ、大丈夫よあなた。あなたが思っているほどユニスちゃんあなたの事好きじゃないから、悲劇と言うほどでも無いわ!

フォローのつもりの言葉が、ザイトリードの胸にグサリと突き刺さる。

それに殺すって言ってもそもそも勝てるとは限らないし、ほら、あなたの鉛の呪いって自分でかけた割に使い勝手物凄い悪いって言うか、ぶっちゃけデメリットしかないわよね?だからきっと大丈夫!

ぐっ、と両腕を握って応援する妻に、ザイトリードはただただ涙を堪える事しか出来なかった。

★穢れを知らぬ聖女(最終話地を這う者の意地を見せ付けましょう-8より)

この娘に、ち、ち、ちちゅーを、しろっ

照れるなら言わなければいいのに、と不死身が思うくらい顔を真っ赤にして、メリザンドは言った。

はぁまあ、そんくらいなら

そう言って唇を近づける不死身の頬を、メリザンドは殴り飛ばした。

ききき貴様ぁっ! く、口にちゅーなんて、それはあんまりにも酷すぎるだろう!?鬼畜か貴様は!? おでこかほっぺにしておけぇぇ!

あ、駄目だこの子悪魔滅ぼせないわ。不死身は自分たちの敗北を悟った。

★魔法陣スピスピ(最終話地を這う者の意地を見せ付けましょう-8より)

あれです核とは、肩の後ろの2本のゴボウの真ん中のスネ毛の下のロココ調の右です!

いやどこよそれ

★嬉しかったんだね(第17話天に弓を引きましょう-7より)

なんだと

絶望的な表情で目を見開くOlの背後に、笑顔で大量の皿を運び込んでくる彼の形代達の姿が見えた。

★理由は一つ(第17話天に弓を引きましょう-7より)

格好いいから!

★プロローグ(NG)

それまで静寂を保っていた空間に、弓の弦を絞るような音がギリギリと音が鳴る。

そして、鉄を擦り合わせる様な声をあげた。

幼女ヨコセー

お前の出番は8話先だ、引っ込んでろ!

★プロローグ(テイク2)

(略)

そして、元気よく声をあげた。

サキュバスだと思った? 残念、ユニスちゃんでした!

天に帰れ

★プロローグ(テイク3)

そして、いやに甲高い声をあげた。

ハハッ! やぁ、僕ミッ○ー

すいませんお願いですお引き取りください!

★人気投票の結果(第5話愚かな侵入者を捕えましょうより)

スケルトン1体に一撃だ。しかも、相手は十人

あれ、聞き間違い? スケルトン10体が一撃?

いや、冒険者10人がスケルトンに一撃だ

あの骨、何者なの

★早く何とかしないと(第9話街を蹂躙しましょう-1より)

いよいよ、街へと進行する

名前が違う!

字が違う!

街の方がなんか格好いい!

田舎くさくない!

口々に述べる部下たちに、Olはため息をついた。これでは今後の戦いは絶望的だ。

この愚かどもめいいか、良く聞け。街の方が、美味い物を売っているのだ

おおー!

部下は揃って歓声を上げた。魔王の食い倒れの旅が、今ここに始まるのだ。

★厨ニ(第10話欲にまみれた冒険者どもに絶望を与えましょう-1より)

今オーガを両断した剣を見つめ、嬉しそうに言うのは戦士のナジャ。

それじゃあまりに平凡じゃない?

ぼそりと突っ込みを入れるのは、魔術師のウィキア。

ウィキア約束された勝利の剣(エクスカリバー)でどう?

Shalですね

ウィキアそれとミノタウロスも、私の解釈だと牛じゃないのよね

ナジャは?

ウィキアあれは角じゃなくて槍なのよね

Shal二つ槍を頂きしものですね

ウィキアそれと私の解釈では冒険じゃなくて再配置って呼びたいの。それと

友人がどこか遠い世界に旅立ってしまった。ナジャは遠い目で、かつての仲間達を見つめた。

★巨星乙(最終話地を這う者の意地を見せ付けましょう-6より)

***したげる

ローガンは思わず拳を突き上げ、立ち上がった。その拳はザイトリードを木っ端微塵に吹き飛ばし、迷宮の天井を貫き、空を衝き、太陽の影に隠れた星核を粉々に破壊した。

我が生涯に一片の悔いなし

ろーがん? ろーがん?

しんでる

その日、一体の悪魔の死と共に、世界には平和が訪れた。

番外編7Memory of amber

それは偶然と言えば偶然だったし、必然と言えば必然だった。

あるいはそれを、人は運命と呼ぶのかもしれない。

彼女、ラディクス・フルーメンが彼を見つけたのは、ちょうど新しく開発する兵器の発想に行き詰っていた時のことだった。

気分転換にと出かけた街の市場。その道の片隅に、彼はうつろな表情で座り込んでいた。汚れに塗れた生気のない顔。ボロボロの布の切れ端のような衣服。ガリガリにやせ細った身体。どこにでもいる、ありふれた孤児の姿だった。

この小さな国プラエティは今、隣国フィグリアと戦争の真っ只中だ。しかも、負けの見えている戦。どうにか新兵器で持ちこたえてはいるものの、日に日に目減りしていく物資はどうしようもない。民草は貧困に飢え、人心は荒れ、治安は悪くなり、道には孤児があふれた。

そんな中、彼女が彼に目を留めたのはその髪の色だった。彼女と同じ、琥珀色。金や赤は珍しくもないが、その中間の褐色を帯びた色というのは少しばかり珍しい。しかし、それ以上に珍しいのは、彼の体の端々から漏れ出る魔力だった。

量そのものは大したことはない。年相応の、ごくごく微量なものだ。しかし、その色はあまりにもラディクスの魔力に似ていた。魔力の色はよく髪に出る。髪自体の色が濃い場合はその限りではないが、概ね髪の色と魔力の色は似通うことが多い。

しかし、その色は同じように見えても千差万別だ。声と同じで、まったく同じという事はまずない。そんな中で、彼の魔力は天才の名を冠するラズでさえ己のものと見紛う程そっくりだった。

こんにちは

だからといって、別にそれが何かの役に立つとか、そういうわけではない。それはただの気まぐれだったのだろう。行き詰った頭で、どうかしていたのかもしれない。とにかくラズは気付くと彼の前に立ち、声をかけていた。

君、うちの子になる?

ぼんやりと少年はラズを見上げる。そして、ややあってこくりと頷いた。

まずは服を脱いで、そこの籠に入れて

言われるままに服を脱ぎ、裸身を晒した少年をラズは湯殿に放り込んだ。

湯殿の使い方はわかる?

ラズの問いに、少年は首を横に振った。風呂と言えばこの国では蒸し風呂が一般的であり、湯を満たしたラズの家の湯殿は一部の金持ちだけが持つ珍しいものだった。少年は一度も入った事が無いに違いない。

まあいいか。じゃあ、使い方を教えるから一度で覚えなさい

見たところ少年は精々7つか8つと言ったところだ。ラズは気にしない事にして、自らも服を脱いで裸になると彼を湯殿へと誘った。

まず最初に、湯を手桶ですくって身体にかけ清める

ラズは浴槽から湯を掬い少年に頭からかけ、己も湯を浴びた。

次に、身体に油を塗って肌かき器(ストリジル)で汚れを落とす

ラズは浴室の片隅に置かれた瓶から油を取り出し、少年の身体に塗ってやる。すると、少年の股間にぶら下がった小さなものが、ムクムクと大きく反り返った。

こんな幼い少年でもそう言った欲求を持つのか、とラズは思わず息を飲むが、気付かないふりをして彼の肌をストリジルと呼ばれる金属製のへらで強くこすった。

すると、面白いほどにぼろぼろと垢が擦り落とされる。湯殿は無論のこと、水浴びもろくにした事がなかったに違いなかった。

自分でやってみなさい

ラズが命じると、少年は頷いてストリジルを受け取り、見よう見まねで身体を擦り始める。擦り傷がところどころ痛むようであったが、彼は顔を顰めながらも全身の垢を存分に擦り落とした。

垢が落とせたら、もう一度湯を浴びて、浴槽に入る

ラズは少年に浴槽に入るよう命じ、自身の垢を落とし始めた。少年はラズから視線を逸らし、なるべく視界に入れないよう配慮しているようだった。

面白い。ラズは胸中でそう呟き、わざとその裸身を彼に見せ付けるかのように無防備に身体を擦り始めた。すると、少年は彼女の方を見ないようにしながらも、時折偶然を装って、或いは何気ない風でちらちらと彼女に目を向けた。

気付かれていないとでも思っているのだろうか。幼い少年の未熟で浅はかな欲求は、ラズの目に可笑しく可愛らしく映った。

そういえば、まだ名乗ってもいなかったね

湯を浴び終え、とりあえずラズの寝巻きを少年に被せてからラズは尋ねた。男の、子供用の服など彼女は当然持っていなかったのだ。彼が着ていた服と言うか、ぼろきれは酷い臭いが染み付いていたので、すぐさま捨てた。

私はラディクス。ラズと呼んでくれればいい。君は?

テオドア

いい名前ね

初めて少年の声を聞き、ラズは驚いた。想像していたよりもその声は遥かに低かったからだ。既に、声変わりが始まっている。

テオ、あなた何歳?

わからない。13、か、4だと思う

その言葉にラズは衝撃を受けた。思っていたより倍ほど大きい。栄養状態の悪さが、思った以上に彼の成長を妨げていたのだ。

その名前は捨てなさい。今日からあなたは、私の弟子。そうね

ラズは少し考えて言った。

今日から、アインと名乗りなさい。アイン・ソフ・Ol。それがあなたの名前。見習い魔術師として私の言う事を良く聞いて、働くのよ。そうすれば、毎日美味しいご飯を食べさせてあげるし魔術も教えてあげる。わかった?

アインはこくりと頷き、答える。

わかりましたよ。言葉から教えてあげないといけないようね

ラズは嘆息した。

さっきのもですか

うん?

ぽつりと、慣れない敬語で尋ねるアインにラズは目を向ける。

さっきの熱い水も、毎日?

そりゃあもちろん。私は不衛生なのは嫌いなの

反射的にそう答えてから、もしかして一緒に入る事を指しているのだろうか。とラズはふとそう思った。

果たして、その予感は半分当たっていた。アインが自分から積極的にそれを要求する事はなかったものの、彼はそれとなくラズと一緒に入浴したがった。

まだほんの小さな子供だと思っていた彼が、多くとも6つしか離れていないと知ったラズは少し迷ったが、結局彼と一緒に入浴する事を選んだ。

例え襲われたとしてもロクな魔術も使えず、貧相な身体の彼に腕力で負けるとは思えなかったし、何より顔を真っ赤にして顔を背けながら、それでもそっとチラチラとラズに視線を向ける彼の仕草がおかしかったからだ。

今まで、魔女と呼ばれ恐れられてきた彼女を女として見るものはいなかった。彼女の作る兵器がこの国を支えているのは疑いようの無い事実だったが、それ以上にその無慈悲で強力な兵器と、それを作り出す彼女に誰もが潜在的な恐怖を抱いていたのだ。

そんな中純真に彼女を慕い、時折垣間見せるアインの未成熟な情欲はラズにとって心地良いものだった。己がただの兵器ではなく、女であると言う実感。それは彼女の心を満たした。

アインは学もなく、身体も貧相な少年ではあったが頭は良かった。彼はすぐに家事全般を覚え、ラズの身の回りの世話を全てこなすようになっていった。料理、掃除、洗濯、その他諸々の家事を全て彼に任せ、ラズは研究に没頭した。

ラズはやや潔癖症のきらいを持つものの、掃除自体は苦手と言う困った性格をしていた。滅多に掃除はしないのだが、汚れているのは我慢ならない。仕方がないので数ヶ月に一度、ピカピカになるまで徹底的に掃除をするといった有様だ。

それが、甲斐甲斐しく働くアインの手によって、彼女の住む塔は常に端から端まで丹念に磨き上げられ、綺麗に整頓されるようになった。これはいい拾い物をしたとラズは喜び、彼を可愛がり、知りうる知識の全てを彼に与えた。

するとアインはまるで古布が水を吸うかのように彼女の知識を吸収し、半年も経つと彼女の助手として働けるほどになった。覚えの良い教え子は可愛いものだ。ラズはますます彼を気に入り、片時も離さず己の傍に置くようになった。

出来たー!

お疲れ様です、師匠

それはアインがラズの弟子となって、2年ほど経った日のことだった。

ラズはぐっと背筋を伸ばし、安堵のため息をつく。ここ数ヶ月、ずっと取り掛かっていた兵器の設計がようやく終わったのだ。彼女の見立てでは、これによって更に効率は3割ほど上がるはずだった。

アイン、お風呂は

既に用意できてます

ん、さっすが!

ラズは準備のいい愛弟子を誉め、彼を連れて湯殿へと向かった。いつもの様に手早く衣服を脱ぎ、浴室へと入る。疲れた身体に浴びる湯は心地良かったが、垢を落とすのは少々億劫だった。かといって、省略するという選択肢はない。彼女はずぼらだが清潔好きなのだ。

あー、ダルい。そうだ、アイン。あなたが洗ってよ

すっかり彼と共に入浴する事になれたラズは、何の気なしに弟子にそう頼んだ。

お、俺がですか?

うん。痛くしないでね

自分で湯殿を持つような裕福な層は、大抵奴隷を扱っている。ラズは奴隷があまり好きでないため雇ってはいなかったが、自分の身体はむしろ奴隷に洗わせる方が一般的だった。アインは奴隷ではないが、師であるラズに絶対服従であることは変わりない。彼女の命令はそれほど不自然なものではなかった。

失礼します

アインは香油を手に取ると、ぎこちない手つきでラズの身体に塗りつけ始める。その手の平の硬さと大きさに、ラズは唐突に彼が年齢相応の体付きに成長している事に気づいた。

毎日顔を突き合わせていたので気付かなかったが、ラズと寝食を共にし栄養状態が改善されたアインの身体はそれまでの仇をとるかのように急速に成長し、伸びていた。ラズの胸元くらいにあった彼の頭は、いつの間にか彼女とさほど変わらぬ高さになっている。

アインの腕は随分と太くなり、魔術の知識もラズには及ばないもののそれなりに習熟した。今彼がラズを無理やり襲おうと思えば、ラズは抵抗できないだろう。その事実と、そして何より、それがそれほど嫌ではない、という事実にラズは驚愕した。

アインはひたすら事務的な態度で、ラズの身体の汚れを丹念に、しかし優しく落としていく。

そのくらいで、もういいわ

急に気恥ずかしくなり、ラズは彼の身体をぐいと押した。驚いたように声を上げる彼の視線を思わず追うと、そこには彼自身が硬く怒張し、へそに張り付かんばかりに反り返っていた。

ラズの胸が高鳴り、早鐘を打つかの様に鼓動した。

私の裸を見て、こんなにしたの?

申し訳ありません!

興奮と恥辱に、アインは顔を耳まで真っ赤にして頭を下げた。

いけない子ね。師に欲情するなんて

ラズは挑発するかのように、アインの腕を取り、自らの腕を絡めた。心のどこかで、彼が自分に襲い掛かり、獣の様に犯すのを期待している事を彼女ははっきりと自覚した。

師匠

困惑し、困り果てた表情でアインは彼女の顔を見つめた。

私を抱きたい?

しばしの逡巡の後、アインはこくりと頷いた。

いいでしょう。でもしっかり、身体を清めてからね。我慢できる?

は、はい!

かすれた奇妙な声で返事する彼に、ラズはくすりと微笑みかけた。

身体をガチガチに緊張させ、焦る彼を見ているとラズの心には少しだけ余裕が生まれる。彼女は手馴れた風を装い、まるで何事もなかったかのように湯を浴びて浴槽へと身体を沈めた。

その内心ではこれから起こるであろう出来事に胸を高鳴らせ、ラズはアインの裸身にちらりと視線をやった。よくよく見てみれば彼の身体はいつの間にか随分男らしく逞しくなり、その肉槍は隠しようもなく硬く突き立っている。

あんなものが己の中に入るのだ、と思うと、ラズは不安と期待が綯交ぜになった何ともいえない気持ちになった。彼女は未だ、男を知らない身だったのだ。

やがて身体を清め、暖め終わった二人は連れ立ってラズの寝室へと向かった。その際ラズはこっそりと香油の瓶を取り、夜着の中に隠した。

さぁ、アイン。いらっしゃい

ラズは秘部にその油を一掬い塗りつけると、ベッドに横たわり弟子を誘った。

師匠っ!

堪らずアインはラズに覆いかぶさり、その唇にむしゃぶりついた。

慌てないで

逸り立つアインの頬をそっと撫で囁くと、ラズは改めて彼に口づけ舌を差し入れた。ぎこちない動きでアインはそれに応える。

いいわきて

ごくりと喉を鳴らし、アインはその剛直をラズの秘部に押し当てた。

ここ

その先端の位置をそっと己の中心に導き、ラズは興奮と期待、そしてほんの少しの期待に身を震わせた。アインはぐっと力を入れ、彼女の奥まで一気に腰を突き入れた。

っ、う、アイン! 女の身体は、もっと優しく、扱うものよ

油でたっぷりとぬるみを帯びたそこに、挿入自体はスムーズに行われた。破瓜の痛みが、じんわりとラズの胎内に広がる。それは純潔を失ったが故の痛みだったが、アインは己の技術の未熟さゆえに彼女に苦痛を与えたのだと勘違いした。

す、すみません

もっとゆっくりね

こくりと頷き、彼は意識してゆっくりと腰を動かした。一突きごとに痺れるような快感が股間から走り全身を貫く。欲望の赴くままにひたすら突き入れたくなる気持ちを、彼は師の為に必死で堪えた。

んいいわ、もう少し早くしても

ラズはアインの首に腕を回し、甘く息を吐いた。痛みは徐々に引き、かわりに甘い疼きが胎の奥から湧き上がってくる。アインは頷き、ゆっくりと抽送の速度をはやめていく。

師匠! 俺、もうっ!

アインはぎゅっとラズを抱きかかえ、切なげに声をあげた。

アイン! ええ、いいわ、出しなさいっ!受け止めて、あげる!

彼の身体を抱き返し、ラズは言った。アインの身体が震え数度力強く突き入れながら、胎内に熱いものが満ちていくのをラズは感じた。

それから、彼女達の生活は一変した。二人は夜毎に肌を重ね、寝室で、浴室で、研究室で、彼らの暮らす搭の中のありとあらゆる場所で愛を交わした。

ラズにとってアインは最愛の弟子であり、かけがえの無い恋人となり、アインにとってラズは唯一無二の存在となった。

ラズって呼んでって言ってるでしょう?

アインに組み伏せられ、その剛直を受け入れながらラズはそう言った。彼女は精神的には優位に立ちながらも、肉体的にはアインに屈服させられ、半ば強引に迫られる事を好んだ。以前教えた敬語もやめさせ、彼女は気安く話すよう彼に願い、アインはその通りにした。

ラズ、仕事はしなくっていいのか?

んんそうね、そろそろ取り掛からないと

アインから与えられる快楽に身を任せながら、彼女は最近遅れがちになっている設計に思考を移した。

今度の石火矢が完成すれば、効率が5割は上昇するから、しばらくは持つはず

効率というのは、何の効率なんだ?

それは弟子の、素朴な問いだった。射程距離、威力、開発費用。それらの概念は理解していたが、師が時折口にする効率という言葉に関しては尋ねた事がなかった。彼女が算出しているそれは非常に複雑な計算式から導出されており、高度な知識がなければ理解できないと思っていたからだ。

そりゃあ

説明しかけ、ラズは口ごもった。効率と言うのは、人を殺す効率の事だ。人員、魔力、費用。それらに対して、どれだけ相手を殺傷する事が出来るか。結局の所、彼女が追求していたのはそれだった。

簡単に、安全に、金をかけず、人を殺す。そう言った物をラズはめざし、作っていた。

師匠?

途中で言葉を切る師をアインは呼びかけた。

なんでもない。ちょっと説明しづらいからその話はまた後で。それより、今は私を愉しませて?

ああわかった

結局、彼女がその言葉について彼に説明する事はなかった。

研究一筋に生き、殆ど他人と触れ合わなかった彼女は、意味は理解していてもそれを実感してはいなかった。しかし他人と暮らし、男を知って彼女は気付いた。その数字の向こうで消えていった人間達の命に。

兵器の一部は敵に奪われ、使用されたこともある。彼女の兵器が敵味方共に被害を増やしているのは確実な事だった。もしかしたら、その中にアインの両親も含まれているのかもしれない。そう言ったことに、彼女は気付いてしまった。

その日を堺にラズは何かと理由をつけ、兵器の開発を断るようになった。元々の仕事も遅れがちであった事も含め、仕事の依頼主であるプラエティ王国首脳部は彼女に激しく抗議した。

しかしラズはそれでも、仕事を請けようとはしなかった。いや、出来なかったのだ。己の作った兵器がやがて人を殺し、その災禍がアインにも降り注ぐ可能性があると思うと、彼女の腕は震え、指は動かなくなり、泉の如く湧き出していた発想は止まった。

そして彼女にとって不幸な事に、王国はそれを反乱の意思だと考えた。アインの出身が国境に近かった事も災いしていた。敵国フィグリアに与するのではないかと疑われたのだ。

巻き込んでしまって、ごめんなさいね、アイン

謝られるような事は何一つ無い

さっぱりとした様子で、アインはそう言った。搭の外にはプラエティの兵士達がずらりと並んでいる。裏切られ、敵につかれるくらいなら、鳴かなくなった鳥は殺してしまえという腹なのだろう。その様子を見て、ラズはいよいよこの国に後が無いことを悟った。

あなたまで死ぬ事は無いわ。私は、今まで間接的にとは言え何人もの人を殺してきた。その報いを受けなければいけない。でも、あなたはそうじゃない

俺はラズの弟子だ。ラズが悪だというなら、俺は喜んで邪悪な魔術師を名乗るさ

アインはラズの手を引いて言った。

逃げよう、ラズ。逃げて、どこか遠い国で二人で暮らそう

そんな彼に、ラズは首を横に振った。

それは無理よ。完全に囲まれてる。逃げ切れない

兵士達は他ならぬラズが開発した弩で武装している。空を飛んでも逃げられない事は誰よりもラズが了解していた。転位の魔術は研究段階で、実用できるレベルではない。

二人とも逃げられない事を悟り、アインは大きく息を吐いた。

俺が、死ねば良い。ラズが内通を疑われたのは俺のせいだ

ごめんなさい、アイン

一筋、ラズの頬を涙が流れた。

この命はラズに救ってもらったもの。ラズの為に捨てられるなら、悔いは無い

サッパリとした表情で言うアインに、ラズは首を横に振った。

アイン・ソフ・Ol。師としてあなたに命じます。私の首を刎ね、それを持って兵に投降しなさい

呪力を帯びた言葉に、アインの身体は強制的に動き、剣を手に取った。

ラズ!? どういうことだ!? 何で、こんなやめてくれ! 俺は、あんたを殺してまで生きていたくなんか無い!

ごめんなさい。ラズはもう一度、胸中でそう呟いた。アインが叫んだ言葉はそのまま、彼女の心そのままだったからだ。アインを殺してまで生きていたくない。そのエゴを、彼女はアインに押し付けた。

やめろやめろ!!

アインは自分の腕を何とか止めようと、全身に力を込めた。しかし、真名によって縛られたその身体は全く彼の言う事を聞かず、剣を鞘から引き抜く。

ラズはすっと居住まいを正すと、刎ねやすいように上を向き、その白い首を晒した。そして目を閉じ、祈る。いつの日か彼が幸福に生きていて良かったと、そう思う日がきますように。

その為であれば、この魂が、煉獄に落ちても構わない。

Olは腕を、まっすぐ横に振った。一瞬の後剣は正確に振るわれ、彼女の首は宙を跳ねた。ほんのひと時、最後に彼の姿を目に入れながら、いつの間にか背を抜かれていたんだな、と彼女は思った。

アインは言い付けられた通り、ラズの首を持ってプラエティ兵に投降した。彼の身は捕縛され尋問にかけられたが、彼がラズの知識を受け継ぎ同様の兵器を作れる事を知るや否や彼らはアインを監禁し、兵器を作らせた。

数ヵ月後、アインの作った兵器は同時にその機能を失い、暴発した。それによってプラエティ王国はフィグリア王国に敗北し、地図からその名を消すことになる。

リル、聞きたいことがあるんだがなんだ、この部屋は

Olは部屋の中を見て顔をしかめた。リルの部屋は兵器の設計図や蔵書が散乱し、足の踏み場も無いほど散らかり、部屋の主はベッドの上にごろごろと転がりながら本を読んでいるところだった。

少しは片付けろ。部屋が片付いていないのは仕事が出来ない証拠だといつも言っているだろうが

呆れていいながら、Olは床に散らばるそれらを拾い上げ、整頓し始める。

それってラズの受け売りでしょ?

己が身に残る記憶を引っ張り出し、リルはそう尋ねた。

そうだ。ラズの部屋はいつも綺麗に整っていただろう?

でもそれOlが片付けてただけじゃない

Olを拾った時はたまたま掃除の直後だったから片付いていたものの、普段はこの部屋と変わらなかった事をリルは知っている。

ラズもこんなもんだったよ

だから、俺の思い出を穢すなと言っているだろうが!

怒鳴るOlにリルはけらけらと笑った。

あなたのお陰で今、Olは幸せそうだよ。

そう、前世の自分に語りかけて。

番外編8ユニスの誕生日

本編9話あたりの話です。

ユニスの誕生日?

うん。来週なんだって

機嫌良さそうに言うリルに、Olは怪訝な表情を向けた。

それがどうかしたのか?

お誕生日会! を! 開きます!

何を言ってるんだと言わんばかりに言う彼女に、Olはコイツは何を言っているんだという目を向け

お前は何言ってるんだ

実際にそう言った。

だって年に一回しかないんだよ!? 祝わなきゃ!

二回以上あってたまるか

Olは嘆息して答えた。

そもそも、お前自身の誕生日はわかっているのか?

え、いや、覚えてないけど

俺も自分の誕生日など覚えてない。スピナはまあ、この前魔術師として

生まれ変わったようなものだからその日だとしても、他に自分の誕生日を

覚えてるような奴がいるのか?

淡々と述べるOlに、リルはむうと唸る。

それにまあ、やめておけ。余計な事はしなくて良い

はぁい

明らかに不満げな表情で、リルはOlの部屋を後にした。

と言うわけで! Olは抜きでやります!

ぱちぱち、とまばらな拍手。熱心に手を叩くのはマリー。それに付き合うように控えめに手を叩くミオ。スピナとエレンは状況が把握できていないのかリルをじっと見つめた。

と言うわけでと言われても、意味がわからないのですが

ユニスの! お誕生日会! を! 開きます!

ぐっと力を入れて強調するリルに、エレンは要領を得ないといった表情で尋ねる。

誕生日とはなんだ?

なんだも何も、そのまま。誕生した日のことよ

エレンは首を捻る。

ユニスが誕生したのは十数年前のことじゃないのか?

そこから説明しないといけないの!?

リルは頭を抱えた。そもそも1年区切りの暦と言うのは、長い時を森の中で生きるアールヴ達にはピンと来ないらしい。

とにかく! 各自、ユニスに送るプレゼントを準備して、当日はパーティを開くから、そのつもりでね!後、この話は当然ユニスには内緒だからね。あとOlにも

リルの言葉に、マリーが手を上げて元気良く返事をする。

あれ、皆で集まってどうしたの?

そこに突然、ひょいとユニスが顔を覗かせた。びくりと身体を震わせるリルをよそに、マリーがニコニコしながら言った。

あのね、秘密なんだけどユニスのた

その口をスピナが素早く手で塞ぐ。5歳児に秘密が守れるとは端から思っていなかったから、その対応も実に素早かった。

あたしの?

首を捻るユニスに、エレンは真剣な表情で言う。

主殿との夜伽の回数が、ユニスだけ多すぎるのではないか? と話していたのだ。気付けばベッドに潜り込んでいるからな

う、そ、そんな事無いんじゃないかなあ~

言いつつもユニスは視線を逸らし、思い出したように手を打った。

あ、ごめん、急用を思い出した!

そう言ってそそくさとその場を逃げ出す。

エレングッジョブ!

リルは親指を立てた。

しかし、プレゼントか

解散し、エレンは困ったように呟き、ミオに尋ねた。

我々にはあまりそういう習慣が無いのだが、どのような物を送ればいいんだ?

そうですね自分が貰ったら嬉しいものを送ればいいんじゃないでしょうか

ミオは少し悩んだ後、そう答えた。彼女もあまり人に贈り物をやり取りしたことなど無いが、彼女自身そう言った方針で用意するつもりだったからだ。

自分が貰ったら嬉しいものか

しかしそれに、エレンは更に悩みを深めた。白アールヴに比べればマシであるとはいえ、精霊を出自とするアールヴ達には物理的な欲求と言うのは人間ほど強くない。欲しいものといわれてもいまいちピンとこなかった。

仕方なく、彼女は部下に相談してみる事にした。アレット、ベティ、クロエ、デルフィナ。彼女と共に戦を生き抜き、信を置くいずれも一騎当千の猛者たちだ。彼女達であれば必ず妙案を出してくれるとエレンは信じた。

うーん。やっぱりアレじゃないですか

口火を切ったのは4人の中でもっとも勇敢なベティだ。彼女は常に先陣を切る。それはこういった場においても同様だった。

Ol様の精液!

訂正しよう。もっとも迂闊でお調子者のベティだ。

武器などはいかがでしょうか

ベティの提案をさらりと流し、生真面目に提案したのはもっとも慎重で判断力に長けるリーダー格のアレット。

ユニス殿は卓越した武威を誇る英雄。英雄には優れた武器が相応しい

ふむ、武器か

エレンは己の形の良い顎をなで、考えた。

しかし我らには剣を作る技術など無い。木剣を贈るわけにもいかぬし

弓をお送りしては?

エレンは首を横に振った。

あの娘は、矢より早く駆ける。弓は不要だろう

アレットは絶句した。英雄という物が人知を超えた力を持つ事はわかっていたが、よもやそれほどとは思わなかったのだ。

食事はいかがでしょう

おっとりとそう提案したのは一番の年嵩、クロエだ。

ユニス様は健啖家でいらっしゃいます。アールヴ料理を振舞ってみては?

ふむ、それは悪くないかも知れんな。ではクロエ、頼めるか?

エレンがそういうと、彼女は表情を引きつらせた。

その、私は食事の用意は、下の者に任せていたものですので、お出しできるほどの物は

ふむ、そうか。では誰か

エレンが視線をめぐらせると、頼りになる部下たちは揃って視線をそらした。

ええい、デルフィナ! 何か無いか!

エレンは沈黙を守る最後の一人、部下の中随一の弓の妙手デルフィナに助けを求めた。まるで眠っているかのようにおとなしくしていた彼女は、すっと目を開くと、ぽつりと呟いた。

我に秘策あり

おお、と一同にどよめきが上がった。

ゆーにーすー!

マリーはユニスに向かって全力で駆け、そのままばふと彼女の足に抱きついた。

お? どうしたどうしたー

ユニスは人好きのする笑顔を浮かべるとマリーを抱き上げぐりぐりと頬を擦りつけた。

ゆにす、なにほしい?

直球ですか! 通路の角で聞き耳を立てながら、スピナは胸中でそう叫んだ。

んー? なになにー、なんかくれんの?

パーティを計画している事は言ってないけども! スピナは今すぐ飛び出して、彼女を止めようかどうか悩んだ。

そうだなーマリーの笑顔がいいかな

ユニスは朗らかに笑い、そういった。マリーはきょとんとして尋ねる。

わたしの、えがお?

うん。それが一番!

神妙な表情でマリーは頷いた。

そしてユニスの腕から降りると、ととと、とスピナの足元まで駆け、悲壮な表情で彼女を見上げ言った。

そふぃわたし、がんばってわらう

ぐっと顔を突き出し、顔を引きつらせてそれでも彼女は笑顔を浮かべた。

だから、とって

いやいやいやいやそういう意味じゃないから!

あなたは私をなんだと思っているのですか!

慌てて二人はマリーを止める。

もう、どんだけ猟奇的な発想なの!っていうかよくそれノータイムで決意したねマリー!?

ユニスはしゃがみこむと、マリーをぎゅっと抱きしめ彼女の頭を撫でた。

私のせいではありませんよ?

あ、いや、別にそういうつもりで言ったんじゃないよ

気配では気付いていたものの、マリーによって隠れていたスピナが暴かれる形になって若干気まずい空気でユニスは首をふる。

えーっと、っていうか、何かあったの?

なんだかまたよくわからない遊びを考えたみたいです

スピナは適当にごまかした。とにかく今はこの微妙な雰囲気を脱したい。

それでは私は、お師匠様のお手伝いがありますのでこれで

マリーを拾い上げ、スピナは足早にその場を立ち去った。彼女はどうにもユニスが苦手だった。ユニスはいつも明るく朗らかで太陽の様に輝いている。心根まで真っ黒な自分とは大違いだ。

ただOlを通じて顔を合わせる機会が多いというだけで、そもそもさして親しくもない。なのに何故こうまで気を揉まねばならないのか。心の中で文句を呟きながらも、スピナは彼女に送るものの候補を思い浮かべた。

その日、ユニスがリルに呼ばれ会議室へと向かうと、部屋の中は闇に包まれていた。空気から伝わってくる気配でリル達がいるのはわかるが、何故明かりを落としているのか。ユニスが問いかけようとしたその瞬間、ぱっと明かりがついて彼女の目は光にくらんだ。

ハッピーバースデー!

視界を取り戻したユニスが見たものは、飾り付けられた会議室と料理の並んだ卓、そしてたんじょうびおめでとう ユニスと書かれた横断幕だった。

突然の奇襲に理解が追いつかず、ユニスはぱちぱちと目を瞬かせた。

今日、誕生日でしょ?

ぷれぜんと、ようい、したよ!

黙っていてすみませんでした

口々に言う娘達に、ユニスの頬を一筋、涙が伝った。

えっユ、ユニス!? どうしたの!?

予期せぬ反応に、リル達は慌てた。ユニスは涙を流しながら顔を手の平で覆い、力なく首をふる。

ちがちがう、のごめん、あた、しだめ、なんだよ

嬉し涙にしては、その様子はあまりにも悲壮感に満ちている。言葉を失うリル達の前で、彼女の頭にぽんと手が置かれた。

全くだからやめておけといっただろうが

呆れた声をあげるのは迷宮の主。Olだ。

ユニス、顔を上げろ

しゃくりあげるユニスの髪をかきあげ、Olは彼女を上に向かせた。

大方お前はこう思っているのだろう。誕生日を祝ってもらう資格などない、と

ぼろぼろと涙を零しながら、ユニスはこくりと頷いた。

だって、あた、しのせいでお母様、は

言わんでいい

Olはそういい、くしゃりとユニスの髪を撫でた。その言葉に、リル達は己の失策を悟る。ユニスの誕生日はそのまま、彼女の母親の命日だったのだ。

だが、お前は一つ考え違いをしている

ユニスの頬を伝う涙を舐め取り、Olは言った。

誕生日などという物は、お前が生まれたその日に終わっている。今日という日は別にその日を祝うためにあるわけではない

聞くものの心を落ち着かせるような、深く低い、優しい声でOlは諭すように言った。

お前が今日まで生きた事。そして、お前を今日まで生かした全てのものに感謝をささげ、喜びを分かち合うための日だ

あたしを生かした、全てのもの

深く頷き、Olは背後を振り返る。そこには所在無さげに立つ仲間たちがいた。

お前の母は言うに及ばずそれを祝おうというもの達が、ここにこれだけいる

ユニスはリル達を見、そしてOlに視線を移した。

勿論、俺もそうだ

頬の涙の筋を拭い、ユニスはにっこりと笑う。ようやく戻った彼女の笑顔に、仲間達はほっと胸を撫で下ろした。

さて、食事が冷める前に食べる事としよう

そうそう! ユニスの好きなものばっかり作ったんだよ! 腕によりをかけて

かけたのは私とミオですが

ユニスの背を押して席へと誘導するリルに、スピナがぽつりと呟く。

ホントだ! 黒パンにエール酒、豚の腸詰にパンプキンパイ、それにパスタも!

あれ、パスタ?

用意した覚えのない料理に、ミオは首をかしげた。

ユニスは王族の割りに、素朴なものばかり好みますね

泣いた顔はどこへやら、笑顔でニコニコと口の中に料理を詰め込むユニスにスピナは半ば呆れてそういった。

んぐっていうか、スピナの料理が好き、かな? 料理上手だよね

何のてらいもなく自然にそういうユニスに、スピナは顔を背ける。その背を、何照れてんのとニヤニヤ笑いながらリルがつついた。

そうそう、プレゼントも用意したんだよ

そういってリルは机の下から包みを取り出した。他の娘達も隠し持っていた包みをそれぞれに取り出す。

わ、開けていい?

目の前に集められた包みを、ユニスは大喜びで広げた。まずは可愛らしい布の袋に入れられ、リボンで縛られた包み。

あ、それは私のです

恥ずかしそうに、ミオが言った。

気に入って頂けるといいんですが

中に入っていたのは、木製のブラシだった。

ユニスさん、髪の毛ふわふわだから朝大変そうかなって

ありがとう! そうそう、すぐ髪の毛はねちゃうんだよね

ユニスはポニーテールにした赤い髪を撫でながら、ぎゅっとブラシを抱きしめた。

大切にするね

次に開けたのは、同じような布の袋。しかしこちらは幾分大きく、口がゆるく縛られている。

えーと、これは?

中からは、木の枝や石がごろごろと出てきた。

あ、それ、わたしの!

手を挙げ、マリーが嬉しそうに笑った。

まっすぐな、きのぼうとー、すべすべでまるいいし!

うわーほんとだ! すごい真っ直ぐ! すごい丸い!

えへへーでしょおー

ニコニコと笑うマリーにユニスもニコニコと頬を緩ませた。

次にユニスが手にとったのは木で出来た箱だった。美しい装飾が彫られた箱の中には枯れた草が敷き詰められ、中央には毒々しい色をしたキノコが置かれていた。見るからに毒を持っていると主張するような、禍々しいキノコだ。

ああ、それは私だ。森の中で最強と呼ばれる毒性を持つキノコでな、刃に塗れば瞬く間に肉を腐らせ、骨まで冒す。難敵に使うといい

ユニスは無言で蓋を閉じ、笑顔を作って答えた。

うん、大切にするね!

間に封印という言葉を省略する。

次は

茶色いガラス瓶を開けようとするユニスの手を、スピナが止めた。

それは私のです。ここで開けると惨事になるので、どうぞ部屋でお使いください

一応聞くけど、中身って

媚薬スライムです

スピナは精一杯の笑みを浮かべて答えた。慣れぬ筋肉を動かし引きつったそれは、邪悪な笑みにしか見えなかったが。

あっ、でも今度はちゃんと絶頂に達したら停止するように調整してありますのでご心配なく

そ、そうなんだ

以前このスライムに襲い掛かられたときの事を思い出し、ユニスは頬を染めた。あの時は死ぬかと思ったが、停止するなら試してもいや、やっぱりこれはさっきのキノコと一緒に封印しておこう。ユニスは考え直し、最後の箱に手を伸ばした。

中から出てきたのは、なにやら非常に見慣れた形の棒状のものだった。

最後は私の! 完全にOlの最大時を再現した、1/1張り形、魔力で振動する機能つき

ねえ、スピナもリルもあたしをOlから遠ざけようとしてない?

とんでもない

二人は口を揃えて言った。

全く、もう

呆れたように呟き、ユニスは堪え切れず吹き出した。つられて、他の娘達も笑い出す。

ありがとうね、皆

目の端に涙を浮かべ礼を言う彼女に、Olは小さな箱を取り出し彼女に渡した。

ユニス。これは、俺からだ

えっ、Olもくれるの? なんだろ

それは銀で出来た箱だった。美しい彫刻の為された蓋をそっと押し開くと、中にはしかし何も入っていなかった。

俺の贈り物は、その箱自体だ。空間を曲げ、見た目よりずっと多くのものが入るようになっているし、中に入れたものは劣化もしない。これから得ていくお前の宝物を、それに入れていくがいい

満面の笑みで頷き、ユニスはOlに抱きついた。

幸せな宴は終わり、その後に。

それにしてもさ

パーティの後片付けをしながら、リルはボヤいた。部屋に残っているのは彼女と、Olだけだ。

知ってたなら、教えてくれたらよかったのに。ユニスのお母さんが、誕生日に亡くなってた事

結局は上手くいったのだからいいだろう

そりゃそうだけど

そこで、リルははっとしてOlの顔を見た。ミオが作った覚えのないパスタ。他の贈り物を入れる為の贈り物。あんな呪具、一朝一夕に作れるものではないはずだ。

もしかして狙った?

Olはニヤリと笑み、さてなと誤魔化した。

最終幕空に未来を描きましょう

うー

落ち着け。お前が焦ってもどうしようもないだろうが

扉の前をうろうろと歩き回るリルに、呆れた声でOlは言った。

そうなんだけどさあ

そういうOlも、先ほど役に立たないから外に出ていろと追い出されたばかりだ。

その傍にはスピナ、マリー、ザイトリード、ウォルフといった面々が顔を並べてまんじりともせず夜を明かしていた。

扉の向こうではメリザンドとその助手の僧侶が数人、産婆が付きっ切りでユニスの出産に立ち会っていた。

時折聞こえる苦悶の声に、まるで我が身の事のように顔をしかめリルは心配げに扉の前を右往左往する。

その時突然、赤子の鳴き声が聞こえその場にいた者たちは一斉にがたりと立ち上がった。

産まれたか!

自らたしなめていたリルを押しのけ、いの一番にOlは分娩室へと入った。

元気な男の子ですよ

産婆が火のついたように泣き喚く赤子を抱き、にっこりと微笑んだ。

よく頑張ったな、ユニス

分娩台に横たわるユニスの髪をそっと撫で、Olは彼女に口付けた。

そして、険しい表情をするメリザンドと共に、新しく生まれた我が子へと向き直る。

メリー、これは

ああ。やはり危惧していた通りいや、それ以上だ

赤子の額には、互いに重なり合う三重の輪が刻印されていた。彼が英雄に生まれついたことを標す、天の刻印。しかも三重と言う事は、三倍の英雄の力を持つ証だ。ユニス、ウォルフ、ザイトリード。彼はその力を掛け合わせたほどの、大英雄に育つだろう。

Olは産婆から赤子を受け取り、用意していた魔法陣の上に彼を浮かべた。ユニスの出産は無事に終わった。しかし、本番はこれからだ。

英雄の運命として多くあるエピソードのひとつに親殺しがある。自らの親を、それと知らず、或いはうらみに思って殺してしまうという話だ。そして多くはそれを悔い、或いは誓いに触れて自らも死ぬ。子殺し、恋人殺しに並びよくある話だ。

Olとユニスの子は、その運命を背負わされて産まれたに違いなかった。Olに今まで女児しか生まれなかったのも、この時の為。聖女を下したOlを確実に葬り去るために、もっとも英雄に相応しい子を天が待っていたのだ。

いくぞ、Ol! この新しい命に、そのような運命を背負わせてはならん!

しかし、Olとメリザンドはそれを元から予見していた。そのような運命を、英雄などという下らない力を、己が子に背負わせるつもりは毛頭ない。

理力で英雄としての力を無力化しつつ、魔力で英雄としての運命を捻じ曲げる。その為の準備を二人は十月十日ずっとしてきていた。

その様子を見守りながら、ウォルフは髭を撫で付けた。彼の鋭敏な感覚は、熱烈な歓迎の気配を察知していた。といっても、こちらにとっては嬉しくない歓迎だ。ご退場頂かねばならない、とウォルフは考えた。

この俺の出番も残しておいてくれるとは、全く天という物は気が利いておるな

頼めるか

我が孫の為だ。是非もない

ウォルフはOlに頷き、部屋を出た。

魔王の城の外、結界に阻まれたその先に、まるでもう一つの太陽の様に輝く存在があった。

それは4つの顔と4つの翼を持つ、天使の上位第二隊。智天使(ケルビム)の姿であった。聖女であるメリザンドでさえ使役することは適わず、その気になれば己の力だけで現界できるほどの神威。

間違いなく、現在の天界で最上位に位置するであろう存在。それはすなわち、天から地まで全てを含んだ中での最強の存在を意味していた。

良かろう、地上最大の英雄の相手に相応しい

巨竜の身体へと向かうウォルフの前を一つの小さな影が遮った。

お手伝いできる事はございますか? ウォルフ様

手伝ってくれるか。お前の協力が得られるのならば、百人力だ。頼もう、獣の魔王よ

その名は好きではありません。私はただの牧場主の娘です

ミオはにこりと微笑んだ。

Ol様! 城の中に天使が!

制御を乗っ取られたか!

分娩室に駆け込み、報告する黒アールヴにメリザンドは舌打ちした。天の迷宮を守る天使達は完全に彼女の制御下にあるが、唯一の例外がある。更に上位の天使が、人の手を借りずに現界したときだ。

世界が神秘に溢れていた神代ならばともかく、この時代にはそんな事はそうそうあることではない。天界の余力的に考えても、今回が最初で最後だろう。

今、エレン様率いるアールヴと冒険者の皆様で抑えています。しかし、敵の数は莫大! 防ぎきれる量ではありません!

天の制御下に置かれた天使達は、周囲の理力を使って更なる増援を呼び寄せていた。空に浮かぶこの城は光に溢れ、それゆえに天使達は迷宮とは違いその力を十全に振るうことが出来る。

援軍にいくわ。あなた達はここの防衛をお願い

おう、任せとけ

妹の子には指一本触れさせん

頷く不死身と鉛、二人の英霊を頼もしく見て、リルとスピナは分身を作り部屋を出て行く。

そういえば

Olはふと、数が足りない事に気が付いた。今部屋の中にいるのはOlとメリザンド、不死身ことザンドとザイトリード、その妻ヒルダ。そして産婆や僧侶達だ。

マリーは、どこに行った?

ここはいきどまりだよ

軽やかにそう宣言する少女に、天使達は足を止めた。金の髪に青い瞳。絶世といっていいほどの美少女は、たった一人で通路に立っていた。

そこを退け。邪魔をするなら容赦は

槍を掲げ、宣言する天使の声は最後まで続かなかった。

その首が、刎ねられたからだ。

居並ぶ天使達は驚きに目を見開く。まだ幼い少女はその小さな身体をするりと天使達の列の間に滑り込ませると、両の手に持った二振りの剣を振るった。その一撃で、更に二つの首が飛ぶ。

二刀流か! 挟み込め! 同時に攻撃しろ!

二人の天使の槍を、マリーは剣で受け止めた。武器を封じられた彼女に、更に別の天使が突きかかる。

二刀じゃないよ

マリーは天使のように微笑み、囁いた。

彼女の剣を押し留める天使二人が、まるで見えない腕に振るわれるかのように宙を舞う剣に首を刎ねられ、消える。枷のなくなった残り二本の剣で、マリーは三人目の天使の槍をはじき、その左胸を突き刺した。

よんとーりゅーでした

馬鹿な、それはまさか

宙を自在に舞うその剣は、魔術で操られているものではない。

法術だ。腕を振るうように剣を動かす、という法をこの少女は作り出していた。その効果は単純だが驚異だ。法である以上、その剣を止めるすべはない。そしてこの神気に包まれた城の中では、殆ど使い放題に等しい。

それだけじゃないよ

マリーは更に二体の天使を屠りながら、呪文を紡いだ。彼女は無数の炎の矢を背負い、剣を天使達に向け、最後の一節を口にする。

穿て

炎の矢は彼女自身を避けて飛び、狙い違わず天使達の心臓を貫いた。それは回避も防御も不可能の、絶対必中の矢。当たるという結果を法によって定められた、魔術の炎の矢だった。

剣と、魔術と、法術を同時に使うだと!?

規格外の存在に、天使は叫んだ。理力と魔力はともに正逆。その身に両方帯びようとすれば打ち消しあい破壊しあう存在だ。そんな芸当が出来るわけはない。

しかし、世界で唯一、マリーにだけはそれが出来た。己の身に魔力を宿し、呪で繋がれた半身から理力をもらう。それはそのまま、この天と地のダンジョンで行われている事の縮図だ。

どいておれ

居並び戦慄する天使達を退け現れた、燃える輪を背負った天使にマリーは瞠目した。明らかに他の天使達とは格が違う。

我こそは天使九階位第三位。上位第三隊座天使(スローンズ)のヴィナエル。娘、貴様の名を聞こう

マリーちゃんです!

ヴィナエルは背の輪を掴み、ぐっと前に突き出した。炎を纏ったその輪は高速で回転し、凄まじい速度でマリーへと投げ放たれる。

さらばだ

その破壊力は、主天使がその命をかけて放った錫の熱線にすら数倍する。仮にそれをかわすか、持ちこたえたとしてもすぐさまその身を切り裂こうと、ヴィナエルは油断なく剣を構えた。

マリーは四本の剣を並べ、それを迎撃しようとした。しかし、彼女はそれが無駄に終わることもまた、わかっていた。ユニスに教えてもらった剣。Olに教えてもらった魔術。メリザンドに教えてもらった法術。

その稀有な複合性と優れた師によって彼女はその年にしてはありえないほどの強さを誇ってはいるものの、その身は英雄ではなく、まだ技も身体も未熟だ。このような圧倒的な威力を持つ攻撃に対しては成すすべがなかった。

そしてそれとは別の理由で、マリーの行為は無駄に終わるのだ。幼い頃から彼女が困ったときにはいつも助けてくれた4本の逞しい腕が、軽々とその輪を止めた。

ありがと、ローガン

成長し、態度が少し素っ気無くなってもローガンはローガンだった。マリーが兄の様に慕う彼はいつも、彼女を助けてくれる。

我が車輪を止めただと!? 貴様、上級悪魔か!?

上位天使である座天使と比肩しうる悪魔は通常、この世界に姿を現すことなど出来ない。彼同様、非常に稀有な存在となっているからだ。人間界に呼ばれる中でもっとも位の高い下級悪魔でさえ、中位第一隊の主天使と同格。

この地上において、座天使が悪魔に遅れを取るはずなどないはずだった。

上級か。そんなわけないだろ

ローガンは天使の輪を投げ捨て、その炎によって焼け焦げた己が手の平を見つめながら言った。

俺はロリ魂を持ちながら、新しく生まれた子供が男だったという激しい怒りによって

進化した伝説の下級悪魔超下級悪魔ローガン様だ!!

いやそれ八つ当たりじゃん

進化してません。私達が手を貸しただけです

呆れた声で現れるのは、やはりマリーが姉同然に慕う三人のうち、二人。スピナと、リルだ。

ソフィ! リル!

師姉と呼びなさい。あなたももう魔術師の端くれなのですから

その手に魔力の刃を浮かべながら、スピナは言った。共にOlに師事する彼女は、マリーにとって姉弟子に当たる。

さぁって、お返しをどうぞ

改良した石火矢を構え、リルがにっこり微笑む。

狙いは頼むぜ、マリー。全力でいくからな

炎を纏い、ローガンが獰猛な笑みを浮かべた。

法術を練り、マリーは法則を作り出す。彼らを信じる心が力となり、マリーは一つの結果を導き出した。

ぜったいに、かつ!

そして放たれる無数の攻撃は、その通りの結果を導き出した。

英雄王はその背に獣の魔王を乗せ、鋼の翼をはためかせた。

でかいな

その視線の先にあるのは智天使。人、獅子、牛、鷲の4つの頭を持ち、4つの翼を持つ天で二番目に偉大なる天使だ。神代の神魔戦争を生き抜いた、恐らく天界随一の勇者だろう。

身の丈80フィート(約24m)を超える最古の竜メトゥスの身体でさえ小さく見えるほどの巨体が、宙を舞いOlの迷宮に迫りつつあった。

獣の顔を持つが、アレは操れぬか?

流石に無理です

英雄王の言葉に、ミオは苦笑していった。見た目こそ獣の姿をしてはいるが、その実は天使だ。流石に意思を通わせる事さえ出来ない。

それより来ます

ミオはウォルフの頭の上に立つと、その角を握り締めた。彼女の目が金に輝き、同調が始まる。ミオの視界がウォルフのものと重なり、周り一面に広がった。竜の瞳は360度隙なく見渡すことが出来る。ウォルフ自身は知覚できぬその視界を、ミオは得ることが出来た。

左舷、上方40度から隠蔽された理力の矢が飛んできます。3秒後接触、3,2,1回避しました

その視界は広いだけでなく、魔力も理力も正確に見通した。肉眼では見えぬその情報をミオはウォルフへと渡し、ウォルフは巧みに竜の身体を動かしそれをかわす。

心技体、すべてが別の存在からなる巨竜は、しかし一体の生き物としか思えぬ完成された連携で動いた。

体内の毒素を圧縮充填に10秒。10,9,8右舷、下方80度より理力の矢接近。避けられませんっ

ぬうっ!

連続で放たれた不可視の矢を、ウォルフは右腕で防いだ。理力で出来た矢は鉄の槍でも傷一つ付かない鋼の皮膚を易々と引き裂き、腕を落とした。

毒素充填完了ブレス、撃てます

お返しだ!

ウォルフは口を大きく開くと、体内で圧縮された毒素の塊を撃ち出した。あらゆる生物を殺し、岩を割り、水を腐らせ、大地を砂漠へと変える強力な毒の塊は、一発の弾丸となって智天使に突き刺さった。

神代から通用する猛毒に、流石の智天使も苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しむ。

よし、このまま

まってください、様子がおかしいです!

接近しようとするウォルフを、ミオは押し留めた。智天使はぐるりと顔を回転させると、獅子の顔を前面に出す。そして毒の影響を振り切ると、智天使は炎を吹きながら無数の矢を放った。

まだあのような力を残しているのか!

可視、不可視、矢は共に無数避けられません!

悲痛な声でミオは叫んだ。ウォルフは英雄としての冷静な判断をした。全力を振り絞り、一点突破すれば後一撃加えられる。しかし、ウォルフもミオも間違いなく死ぬだろう。

それによって彼の孫は守られる。そうすべきだと、彼は理解した。

ミオよ

そして彼は、覚悟を決めた。

お前だけはなんとしても守る。後は頼んだぞ

彼女を、そして魔王達を信じる。彼らなら何とかするはずだ。ウォルフは、そう決断を下し、彼女を守るべく翼を広げた。

おや、稀代の英雄王ともあろうものが随分弱気な事だ

そこに、小気味良い声がかけられた。聞き覚えのないしかし、どこかで聞いたことのある声。

いつの間にか、白い髪の男が彼の翼の上に立っていた。

私達に、お任せください

そしてもう片方の翼には、やはり白い髪の小柄な少女。

敵の核は、あの牛の頭その、眉間です

そして、奇妙な兜をかぶった騎士が、彼の背に乗っていた。

お前たちは! 魔弾、炎髪、無明か!

無粋な名だ

魔弾は髪をかきあげ、そう呟いた。

我が名はレックス。一発千中レックス・ザ・ウェイカーだ!

ずらりと矢を並べ、魔弾は矢を放った。矢は千の光の礫へと姿を変え、智天使の放った矢のことごとくを打ち砕いた。

では、私もそれに習いましょうか。我が名はヨハネ・アーク。全てを燃やし尽くすものです

炎髪の髪が渦巻き、炎となって智天使の吐き出す炎を包み込んだ。白い炎と赤い炎がお互いに舐めあい、それそのものを燃やし尽くしていく。

私は名乗るほどのものではありませんがね。盲目のガイウス。さあお嬢さん、これを

無明はミオの手を取ると、彼女の頭の中に智天使の核の正確な座標を送り込んだ。

ありがとうございます!

では、後は任せたぞ、竜殺し

魔弾はそういい、その姿は消えていった。それに倣うように、残り二人の英霊も姿を消す。理力に以前ほどの貯蓄はなく、その大部分をユニスの子を封じる事に使っている今、肉体を持たない彼らが力を保てるのはほんの僅かの時間だった。

竜殺しではない

彼らの協力に感謝し、ウォルフは吼えた。

我こそは英雄王ウォルフディール!いざ、参る!

二人の意思と竜の身体は統一され、純粋な破壊の意思となる。鋼で出来た身体が形を変え、刃となったその姿はまるで一振りの剣のようであった。

否。まさしくそれは、剣だった。

かつてウォルフが王となった時に賜り、メトゥスの心臓を刺し貫いた宝剣。

フラント!!

一振りの巨大な剣になった彼らは智天使の、牛の頭の眉間を貫いた。そのまま頭蓋を貫き、反対側まで突き抜ける。

どうだ!?

竜の姿に戻り、荒く息を吐きながら振り返るウォルフの目の先で、智天使は何事もなかったかのように振り向き大きくその口を開けた。

それが、彼のこの世界での最後の動作だった。

光の粒子となって消えてゆく智天使を見届けながら、ミオはほっと息を吐き、ウォルフの頭の上にもたれかかった。彼女を落とさぬよう気を払いながら、ウォルフは城へと目を向ける。

こちらの仕事は終わった。後は、お前の番だ。

そう、胸中で呟いて。

天使が消えた。親父がやったようだな

不死身と共に分娩室を守りきり、ザイトリードは己の出番が来た事を知った。

彼は分娩室へと入ると、ぐったりとしている己が妹に声をかけた。

よく頑張ったな。俺は兄として、お前を誇りに思う。愛しているぞ

お兄様?

ぼんやりとした表情でユニスは彼を呼んだ。

しかしザイトリードは答える事無く、ユニスの息子の下へと足を運んだ。Olとメリザンド。魔王と聖女が力を合わせて英雄の呪いを防いでいるが、その表情には焦燥の色が濃い。

三重紋が示すのは、ただ英雄三人分の力が宿っているという話ではない。それら全てを掛け合わせた、未曾有の強さだ。恐らく今後数百年は英雄は生まれないだろう。それだけ、天は本気なのだ。

それを防げるのは、ザイトリードの力だけ。そして防ぎきれば恐らく彼は力を使いきり、命を落とすだろう。存在そのものが消え、二度と転生も出来ず彼というものはこの世界から消える。だが、それでも悔いはなかった。

過去妹を殺した贖罪ではない。彼女の、そして彼女の息子と認めたくないが、夫の未来を、守る為の戦い。それが、ザイトリードしか出来ぬというのだ。英雄としてこれほどの誉れがあろうか。

魔王よ。貴様には言いたい事が大量にあるが一つだけ、誓え。ユニスとその子を、必ず幸せにすると

言われるまでもない

真っ直ぐに目を見つめ、Olは答えた。何故この男の目の強さを、最初に見抜けなかったのか。ザイトリードは今更のように、そう思った。

ヒルダ。父に伝えてくれ。あなたの息子は最後まで勇敢であったと。そして再び、お前を残していく事を、許してくれ

ザイトリードの妻はにっこりと笑い、首を振っていった。

いやです

まさか拒否されるとは思わなかったザイトリードは言葉を失った。

私の夫は、英雄王も認める男。世界で最高の、英雄です。天如きに、負けはしません

そして、自信を持ってヒルダはそう答えた。

それに。あの子が産まれた日に、不幸を一つ残すおつもりですか?

お義姉様

ヒルダはユニスに微笑みかける。義理とは言え、自分の妹同然に見てきたのだ。ユニスの苦悩を、彼女はよく知っていた。

はっはっは! 胆の据わった姉ちゃんだな!

ザンドかつて不死身と呼ばれた英霊は笑い、ザイトリードと肩を組んだ。

あら、姉ちゃんだなんて。おばさんでいいんですよ

それに控えめに微笑み、ヒルダは答える。

よし、やるぜ世界で最高の英雄さんよ!世界で最古の英霊が手伝ってやる。ぶっつけ本番だが行くぜ!

そう叫び、ザンドはザイトリードの身体に入り込んだ。二つの英霊の魂が、一つの身体の中で交じり合う。

メリー、力の供給は頼んだぜ。やりな、兄さん!

ザイトリードは赤子に手をかざすと、その両の手の平に力を注ぎこんだ。

おおおおおおおおおお!!

ザイトリードは全力で、赤子の英雄を打ち消した。全身に衝撃が走り、身体中がバラバラになりそうな痛みが駆ける。指先から焼けた鉄の棒を打ち込まれたようなその苦しみに、しかしザイトリードは苦悶の声一つあげず能力を使うことに集中した。

全身の皮膚が理力と理力のせめぎあいで崩れ、血が沸き立ち、肉が弾ける。それをザンドは次から次へと再生していった。自分の霊体ならば千に裂かれようと自然に修復されるが、他人の身体となると勝手が違う。

しかも、身体と同時にザイトリードの魂自体も傷付いていく。ザンドはそれを必死で繋ぎとめ、直し、修復した。

それはほんの数秒の出来事だったが、二人にとってはまるで永遠のような長い長い時間に思えた。そして、それを見守る者たちにとっても。

赤子の額から紋章が消え、魔法陣の上でバランスを失い、地に落ちる。それを、Olは優しく抱きとめた。

よぉ生きてるかい、兄さん

よろよろとザイトリードの身体から抜け出し、ザンドは尋ねた。

何とかな

ごほりと血を吐き出し、ザイトリードは答えた。身体の中はぐちゃぐちゃだが、少なくとも死んではない。そして幸いな事に、ここには回復の手だけは十分にあった。

お疲れ様でした、あなた

潤む瞳で、ヒルダはザイトリードを抱きしめ、口付けた。

さあ、ユニス。抱いてやれ

すやすやと寝息を立てる息子を、Olは妻に渡した。ユニスはそっと壊れ物を触るように彼を抱き、目を細めてその顔を見た。

あたしと、Olの赤ちゃん

そして、何よりも愛おしいものを見る瞳で微笑んだ。

髪の色はユニスの血だね。炎みたいに真っ赤

目元と鼻筋はお師匠様に似ています

それを横から覗き込み、リルとスピナも表情をほころばせた。

無事天に勝利した事を喜ぶ声がそこここであがり、空に竜の咆哮が響き渡る。

この子はどんな物語を紡ぐんだろうね

眠る我が子を見つめ、ユニスは呟いた。今なら、亡き母が命を賭してまで自分を生んだ理由がわかる。この子の未来のためなら何も惜しくはない。ユニスはそう思った。

敷かれた道は崩した。後は自分で為すべき事を為すだろう

Olは赤子を撫で、笑みを浮かべた。この騒ぎの中眠っているとは、案外英雄の力などなくてもこの子は大物になるかもしれない。他ならない、父親の様に。

そうだね。あたしと、Olの子供だもん

ユニスは太陽のように輝く笑顔を浮かべ、そう言った。

その胸に、空の様に広がる未来を描きながら。

魔王の始め方完

それでも彼女は微かに笑んで前編

ねえ、わたしの誕生日もお祝いしてよ

お前は何を言ってるんだ

いつもの事ながら唐突な使い魔の申し出に、邪悪なる魔王は呆れた口調でそう返した。

えー、だって、ユニスは毎年皆でお祝いしてるでしょ? スピナだって、こっそり祝ってるじゃない。わたしだけ何にもないのは不公平だと思うの

別に、祝うという程の事はしていないが

気付いていたのか、と内心Olは呻く。

スピナの誕生日というのは、彼女がそれまでの名を捨て魔術師となった日の事。即ち、Olと初めてであった日の事でもある。

あまり賑やかしい場を好まない彼女はユニスの様に祝いの席を設ける事はなかったが、何とはなしに、師弟で酒を酌み交わし、そのまま睦事に移るのが倣いとなっていた。

別にわたしだって、国を挙げて大々的にお祝いしてなんて言ってるわけじゃないの。ご主人様からちょっと、誕生日おめでとう、とか、いつもありがとう、とか、愛してるよ、とか言ってもらえればって思っただけで

さらりと誕生日に関係のない要望を混ぜるな

Olが指摘すると、リルはふいと目を背ける。絹糸のように垂れる髪の隙間から、赤く染まったうなじが見えた。

照れるくらいなら言うんじゃない

なによぅ

まあ、そのくらいなら吝かではないがそもそもお前の誕生日っていつなんだ

改めて問われ、リルは答えに窮した。自分が生まれた日の事など全く覚えていない。そもそも暦という概念のない魔界においては、季節すら定かではなかった。

あーじゃあ、あれだ。ラズが死んだ日。それならある意味、わたしの誕生日じゃない?

お前という奴はいくら何でもそれは縁起が悪すぎるだろ

悪魔だもん、しょうがないじゃない

どっちにしろ、細かい日付までは覚えとらん。何十年前の話だと思ってるんだ。春頃だったというのを辛うじて覚えてるくらいだ

んー、じゃあ、あれだ。初めてOlにあった日は?

それなら覚えてるがだいたい、9か月後だな

えー

何の不満があるんだ

遠いよ! 遠すぎるよ! じゃあ、明後日とかにしよう

短すぎるわ。第一、お前と何の関係も無かろう

うー

頬を膨らませ、リルは唸る。

たかだか9か月くらい待っていろ。別にお前にとっては長いも短いもあるまい

そのOlの言葉が、リルの感情を逆なでした。

もういい

ふわりと宙に飛び上がると、彼女は部屋を出て行ってしまう。

残された時間は少ないのにリルは、Olの部屋を出て溜め息をついた。

彼女がOlの傍にいられるのは、さほど長くはない。

多く見積もっても、後たった数百年ほどだ。

どんなに魔術を駆使しても、肉体を若く保っても、人の魂というのには寿命がある。悪魔とて無限に生きられるわけでもないが、持つ時間は人より遥かに長い。リル自身はまだ百にも満たないが、少なくとも数千年は生きる事が出来るらしい。

そんな事を考えながら歩いていると、その生き証人とでもいうべき存在が目に映った。炎のような赤い体に、太くたくましい四本の腕。山羊の様にねじくれた角を持つそれは、数千年を生きたと豪語する悪魔、ローガンであった。

ローガ

その背に声をかけようとして、リルは躊躇った。表情は見えないが、ローガンの身体が今までになく緊張しているのが分かる。かつて、英霊と戦った時でさえ見なかった程の迫力を滾らせ、ローガンは魔力を漲らせていた。

行くぜ!

低く唸るような声色は真剣そのもの。

うおおおおおおお!

裂帛の気合いと共に、ローガンはその腕を伸ばし

そして、その先にいた幼い少女の肩に、ちょんと触れた。その瞬間、彼女に秘められた呪いがその凶悪な牙を剥く。

我が生涯に、一片の悔いなし!

強大な魔力の奔流に、ローガンの身体はあっという間に灰と化した。

何やってんの

ローガンが、レティシア触ろうとして死んじゃった

傍らで見ていたマリーに訊ねると、彼女は淡々と灰を集めながらそう答えた。レティシアというのは、今年五歳になったOlの八番目の娘だ。彼女は何が起こったのかわからず、きょとんとしている。

ローガン、どこいっちゃったの?

ちょっとおうちに帰っただけだよー

もう、戻ってこないの?

じわり、とレティシアの瞳に涙が浮かんだ。

そんなことないよ、すぐ戻ってくるって

でも

彼女の視線はマリーの手の中の灰に注がれていた。まだ幼いとはいえ、魔王の庇護のもと高いレベルの教育を受けているのだ。既に生き死にを理解するくらいの力はあった。灰になって生きていられるものなどいないし、実際ローガンは死んでしまっている。

ただ、そこから容易く蘇られるのが悪魔という存在だ。彼らの本体は魔界に存在していて、こちらの世界にやってくるのはその現身に過ぎない。召喚し直せばまた何度でも蘇る事が出来るからこそ、ローガンも簡単に己が身を滅ぼしたのだ。

とはいえ、ローガン程の悪魔を再召喚するのもなかなか手間がかかる。普通に呼ぼうとするなら、相当時間をかけて準備しなければならない。

もう、しょうがないなあ

リルはため息をついてレティシアの頭を撫でると、跪いて彼女に目線を合わせた。

レティ、安心して。わたしがすぐ連れて戻ってきてあげるから

ほんとう?

もー、リル、あんまり甘やかしちゃだめだよー

瞳を輝かせるレティシアと、灰になったローガン。その両方への意味を込めて、マリーはそう言った。

あんただって昔、ローガンが死んだと思って大泣きしたじゃないの

うっ

ニヤニヤと笑いながら指摘してやると、マリーはばつが悪そうに口を噤んだ。

ま、とりあえずあの馬鹿連れ戻してくるね

リルは地面に手早く魔法陣を描くと、そこに魔力を通して中に入り込む。魔界との道を繋ぐだけでなく、逆流防止の魔法陣だ。下手に道を開いて、悪魔が大挙してやってきても困る。

10分くらいしたら呼んでね。マリー、出来るよね?

うん、わかった

マリーも簡単な魔術はOlから習っている。悪魔の召喚は本来なら細心の注意を持って熟練の魔術師がやらなければ危険なものだが、その当の悪魔が全面的に協力するのなら見習いレベルの彼女でも問題はない。

じゃ、行ってくるね

リルはまるで水の中に潜るかのように、闇の中にとぷんと身体を沈ませた。

っふぅ

久方ぶりの実体に戻り、リルは身体をこきこきと動かす。

魔界は、人間が住む世界に比べて酷く殺風景な世界だ。というのも、この世界には悪魔以外の生き物というのが存在しない。物は常にそのままであり続け、変化しない。倦怠の中で悪魔達は日々を無為に過ごし、たまに人間に呼ばれては魔力や魂を得るのだ。

んーっと、こっちか

ローガンの力は強いので、すぐにわかる。翼をぱたぱたとはためかせて向かうと、大きな赤い悪魔はすぐに見つかった。

おう。わざわざ迎えにきたのか

あんたのせいでレティが泣き始めちゃったの

おっと、そりゃあ悪いことをしたなぁ!

嬉しそうね、あんた

満面の笑みで声を弾ませるローガンに、リルはげんなりとする。

そりゃあ、そうだろ。レティちゃんマジ天使! いやあ、幼女は最高だよなあ

どうせすぐ大きくなっちゃうじゃない

わっかってねえーなぁー。それが、いいんじゃねえか

少しだけイラついた声色で言うと、ローガンはチチチと指を振ってリルのイラつきを大幅に増幅してみせた。

一瞬の煌めき。汚れを内包しながらもそれを知らぬ無垢な魂。実に、そそるねえ

汚れを知ったらもう用なしってわけね

そのイラつきのせいか、それともOlとの言い争いのせいか。リルにしては珍しく、気付けばそんな当てつけがましい事を口にしていた。

あぁ? そりゃどういう意味だ?

別に。ただそう思っただけ

ふざけんなよ、俺はなぁ

怒気も露わに、ローガンは己が主張を叫ぶ。

ビッチ幼女それはそれで、有りだと思います!

死ねっ!

リルの右ストレートが真っ直ぐに放たれた。

まーあれだろ。マリーの事が言いたいんだろ?

まあそうね

それを手の平で受け止めながら、ローガンはおどけた口調を改めてそう尋ねる。現世では殆ど一貫してふざけた態度しかとらない彼だが、リルにだけは真面目に接する事が稀にではあるが、存在した。

お前みたいな半端ものと一緒にするなよ、この俺を誰だと思ってやがる。人間なんて所詮悪魔にとっちゃ食い物にすぎねえ。十三歳以上のババアに興味はねえよ

でも、なんだかんだでマリーの事は気にかけてあげてるじゃないの

あるいはそれもふざけた態度と同じように、擬態に過ぎないのか。そう思ってリルが尋ねると、ローガンは急激に口を濁した。

まあそれはその、アレだ。子供の頃はあんなに可愛かったんだから、子を産んだらその娘も美幼女の可能性が高いだろ? だから、まあ、そのくらいはだな

なんだ。結局なんだかんだで気にかけてるんじゃないの

うるせえ! 妙な邪推するんじゃねえよ!

クスクスと笑うリルに、ローガンは四本の腕を組んで怒鳴る。

いいか、これはお前の為にも言ってんだぞ

わたしの為?

ああ。まあ、お前とはいい加減付き合いも長いからな

長い寿命を持つ悪魔達ではあるが、その性質が混沌であるがゆえに、互いに長く付き合うなどという事は滅多にない。リル達の様に同じ魔術師に呼ばれて十年も顔を合わせ続けるなどという仲はごくごく稀なものなのだ。それが故に、彼らの間にはちょっとした仲間意識のようなものがあった。

そのくらいの感覚でいろって事だよ。わかんだろ

数千年という長い時間を、彼はどういう思いで過ごしてきたのだろうか。ふとそんな事を想うリルに、ローガンは極めて真面目な口調のまま、続ける。

つまりお前もあんな爺に入れ込むより、ショタコンになった方が

誰がなるかッ!

リルの形のいい脚が美しい曲線を描き、今度はローガンの顎に綺麗に入った。

その時、りんと音が鳴ってリルは上を見上げる。

ほら、マリーが呼んでる。馬鹿なこと言ってないでさっさと帰るよ

へいへいちょっとあの穴、俺が通るにゃ小さくないか?

ただでさえ魔力食ってるくせに、この上迷惑かけておいて図々しいわね。その邪魔そうな腕でもそぎ落として通りなさいよ

ぽっかりと中空に開いた穴に、リルは軽々と身を滑らせる。どうしたものかと迷いながらローガンはその淵に手をかけ

待て! これはマリーのあけた穴じゃねえ!

そして、叫んだ。

ぽかんとした表情で声をあげるリルの身体に、紐状の魔力が絡みつく。

嘘っ、なにこれ

くそ! リル!

ローガンが腕を伸ばすも、リルの身体は物凄い速度で引っ張られてその手は届かない。そして彼の目の前で、穴はぱちんと弾けるように消え去った。

リルが浚われただと?

ああ、ありゃあちょっとヤバいかもな

その後すぐにマリーの開けた召喚陣から現世へと戻ったローガンは、そうOlに報告した。

悪魔を一本釣りする魔術なんてのは、聞いたことがねえ。しかもありゃどうも、本体ごと行ったぜ

悪魔の召喚というのは、呼ぶこと自体に強制力はない。魔力を餌にして呼び寄せて、現世に来たところを魔法陣で捕獲。その後交渉し、魂や血、魔力と言った対価を支払って使役するというのが一般的な方法である。

位の低い悪魔たとえばインプやブラック・ドッグというような、大した知性も持たない種類であれば魔力で無理やり使役するという事も出来る。しかしそれはごく一部の例外で、リル程度の階級になると並の魔術師にはもうそんな事は不可能だ。サキュバスはそれほど高位の悪魔ではないが、悪魔と人間にはそれほどの力の差がある。

流石に操る事は出来ないにしても、強引に召喚するだけでもそれは並の魔術師の範疇を大きく超えた力である。更に魔界に住む本体ごととなれば、Olとしても楽観視できる事態ではない。

Olが低く低く、声を出す。普段偉そうにしている彼が狼狽え、怒るのはなかなかに面白い見ものではあった。

まさか貴様はそのままおめおめと戻ってきたわけじゃないだろうな?

が、それもその矛先が自分を向いていなければの話だ。

まさか、落ち着いてくれよ旦那

ローガンはじりじりと後退りしつつも、彼を押し留めるように腕を広げる。

ちゃんと手は打ってるさ。文字通りな

彼の上側の右腕は、手首から先がすっぱりと切り落とされていた。

随分素敵な呼び方してくれるじゃないの

気付けばリルは、どこか見知らぬ部屋の中心に転がっていた。

手荒な真似をしてすみません

彼女の目の前に立ち、慇懃に礼をするのは20前後の男だ。Olの例もあるからそれが実際の年齢と一致しているかどうかはわからないが、すらりと高い背に整った顔立ち、にこやかに浮かべられた笑みは思わず信用してしまうような魅力があった。

だがそれがまったく当てにならない事は、リルの現状から考えて明らかだ。地面には複雑な文様が描かれ、立ち上る光の壁がリルと男とを隔てている。それだけでなく、その魔法陣は彼女の力を奪い、使えなくしているようであった。

目の前に立つ男を睨み付けながら、彼女はよろよろと両の脚で立ち上がった。重力に抗う力すら封印され、今のリルは人間の娘とほとんど変わらない。

私の名前はマルクト。どうぞ、よろしくお見知り置きを

あなたの名前なんてどうでもいいわ

品のある声でそう名乗り、優雅に一礼する彼をリルはそう切り捨てた。

わたしに何の用なの? さっさと帰してほしいんだけど

出来れば少し会話を楽しみたかったところですが、致し方ないですね

マルクトはその場に跪くと、まるで貴婦人に仕える騎士のような仕草で、リルを見上げる。

私のものになっていただきたい

予想外の言葉に、思わずリルは惚けたように声をあげた。

貴女を初めて見たのは、忘れもしない10年前の事です。邪悪な魔術師Olに連れられた貴女は可憐で美しく、私は一目でこの心を奪われました

マルクトがリルに向ける視線は、どこまでも真摯だ。

悪魔というのは嘘に敏感だ。よほど巧妙に嘘をつくか、自分自身さえも騙すほどの演技力でもなければすぐに暴いてしまう。しかしそんなリルの目から見ても、彼は本気で言っているようだった。

そして貴女を追いかけて、内面を知り私はそこにも、惹かれました。貴女は見た目だけでなく、その心の在り方も美しいのだと知った。貴女はただの悪魔ではない。私には、そう思えるのです

厄介なことに、マルクトの言う事は当たっている。心の美しさはともかくとして、前世、人であった頃の記憶を持つリルはあらゆる意味でただの悪魔ではない。

悪いけど、お断りよ。あなた全然私の好みじゃないし

リルがそうきっぱりというと、なぜかマルクトは嬉しそうに微笑んだ。

良かった。淫魔は恋などしないだとか、人間なんか相手できないなんて言われなくて

そんな事は、言えるわけがなかった。リルは言葉を返せず、ただ押し黙る。

それならまだ、私にもチャンスがあるという事ですね。では、また明日

そういって踵を返すと、マルクトは部屋を出ていった。

リルは光り輝く小さな結界の中、ため息をついて座り込む。

旦那も相当なもんだが、ありゃ輪をかけていかれてんな

そして、背後から突然聞こえた野太い声にびくりと身体を震わせた。

ローガン!?

リルの影の中からひょこりと姿を見せるのは、赤い身体に四本腕の悪魔ローガンだ。しかしその姿はあまりに小さく、リルの手の平に乗ってしまう程のサイズだった。

どうしたの、そんなに縮んじゃって

あの時咄嗟に、腕の先だけ切り離して分け身を作ったんだよ。おめおめとお前さんを連れてかれたら、旦那にどやされるだけじゃ済まねえ

あーOl、結構心配性だしね

頬、緩んでるぞ

努めて冷静に振る舞うリルに、ローガンはそう指摘した。彼女はうっと呻いた後、渋面を作って両頬を抑える。

まあともかくだ。あっちの俺が旦那に滅ぼされねえうちに、さっさとあの魔術師の要求を呑んでこの結界を解かせろよ

コンコンと光る壁を拳で叩きつつ、ローガンは言った。ただでさえミニサイズになっている上、リルと同様に結界の影響を受けた彼の能力は今や幼いレティシアと互角程度で、直接的な助けにはならない。

そうすりゃ、ここがどこだかわかる。わかれば後はこっちのもんだ。転移除けの結界が張ってあろうと、ユニスの嬢ちゃんがさっと来てスパッとあいつの首を刎ねて終わり。簡単なもんだろ

まあそうだけど

英霊たるユニスは強い。卑怯じみた自在の転移能力は言うに及ばず、その剣の腕も相まって、魔術師どころか悪魔でさえ彼女に勝てるものは殆どいない。あのマルクトという魔術師に多少腕に心得があったとしても、おそらく勝負は一瞬で終わる。

でも、一瞬でもあいつのものになるとか嫌だなー

おめえなあ、そんな我が儘言ってる場合じゃないだろ。まあ、気持ちはわからんでもないけどよ

混沌をその旨とする悪魔は、他人に束縛されることを嫌う。魔術師に使役されるのだって、対価あってのことだ。人間のものになれ等という命令は受け入れがたい。

まあ、そうなんだけどさ

勿論、リルの場合は別の事情もあったが。

日がゆっくりと赤く燃えながら、大地の果てへと沈んでいく。窓から降り注ぐ日の光の代わりに、魔力が天井を流れて灯りが瞬く。Olとスピナが黙々と紙束に目を通すのを邪魔しないように気をつけながら、ユニスはカーテンをそっと閉じた。

リルの場所はまだわからんのか

苛立ちを隠しもせずに、Olはローガンに鋭い声を投げつける。

落ち着けって。たぶん、結界か何かに囚われてんだろうよ。俺から連絡があったらすぐに知らせてやるから

まだ結界に囚われているだと?

大量の紙束をめくる手を止めて、Olはローガンに視線を向けた。

悪魔との契約に、そう何時間もかけるものではないだろう

そう言われりゃ、確かにそうだな

つまり、恐らくはリルが契約を拒んでいるという事だ

椅子を立って部屋の中を歩きながら、Olは言葉を紡ぐ。考えを纏める時の彼の癖だ。

考え得る理由は二つ一つは、俺に不利益な内容であるという事だ。リルを狙い打ってかどわかしたのであれば、狙いはこの迷宮、もしくは俺の命である可能性が最も高い

Olを殺してこい、とか言われて、リルが承知するわけないもんね

どこか誇らしげに言うユニスに、Olはあえて同意しないまま、二本目の指を立てた。

もう一つは、理不尽な内容例えば、完全にその存在を縛るようなものであった場合だ。そして俺はこちらの方が可能性が高いと睨んでおる

何故ですか?

多少特殊な部分はあろうとリルは結局のところ、あまり強い魔力も持たない淫魔に過ぎない。そんな彼女を支配する必要性がよくわからず、スピナは首を傾げて師に問う。

リルが相手に与したところで、大した害がないからだ

そして己が考えていたことをほぼそのまま言われて、更に疑問符を浮かべた。

正直に言って、リル一人が俺達の敵に回った所で何の問題もない。心情的には抵抗があるかも知れんが、さっさと契約して貰った方が結果としてこちらにとってはありがたい

あ、そっか、なるほど

言っておくがお前が同じ状況になったら、絶対に契約するなよ

納得が言ったように深く頷くユニスに、Olは釘をさす。リルと違ってユニスは、敵に回れば一人でこちらを全滅させかねない。

しかし、リルを完全に操るとしても、何をさせるつもりなのでしょうか?

幾らでもやりようはある。悪魔は契約には逆らえんからな。死ねと言えば死ぬしかない。人質にとるもよし、何食わぬ顔でこちらに戻して内部から手引きさせるもよしだ

俺ならそうする、と言わんばかりにOlが言うと、奇妙な沈黙が訪れた。

相変わらずエグい手ばっかり考え付くのね、なーんて

ユニスがリルの声真似をして、肩をすくめる。こんな時Olに呆れながらも突っ込む役は、リルのものだ。

絶対助けようね、Ol

無論だ

意気込むユニスに頷き、Olは再び手元の紙束をめくり始める。スピナもそれを手伝い、幾つも分身を増やして作業へと戻った。

ところでさっきから、何を調べてんだ?

指定した悪魔を強制的に呼び出すなどという事が、並の魔術師に出来るわけはなかろう。であれば、大なり小なり必ず名を知られているはずだ。そういったものを探しておる

無数の紙束を選別しながら、Olはローガンに答える。紙に書かれているのは複雑な暗号化を施された魔術文字で、Olとスピナでなければ読むことは出来ない。

そんな事できんのかよ

当然だ。情報は戦の基本だぞ。この大陸にすむ魔術師は、高名なものから無名な辺境の魔術師の弟子に至るまで網羅させておる

山のように高く積まれた紙束は、全て魔術師の情報だ。己の知識を秘匿しがちな魔術師をよくぞここまで調べ上げたものだ、とローガンは呆れつつも感心した。

その中でも、そんな芸当が出来そうな者はこの辺りだな。宵闇のノクティスに、長き腕ブラキウム。それに影渡りハスタか

いずれも、召喚術師として高名な魔術師だ。しかし、ハスタはどちらかというと自分自身の転移を得意とする魔術師で、ブラキウムは逆に物質を手元に取り寄せて戦うスタイルだ。ノクティスは悪魔をよく使うがムラっけのある性格で、ピンポイントで悪魔を浚うような魔術はどうも印象が違う。

お師匠様、こちらのものは?

スピナが一枚の紙を拾い上げて問うた。そこに記載されているのは、求めている情報に最も近い。優秀な悪魔召喚士であり、緻密な魔術を得手とする男。

これは古い情報だ。名前に赤いインクで線が引かれているだろう。こいつの事は知っている

だが、Olは首を横に振った。

マルクト。もう随分前に死んだ、召喚術師だ

おはようございます。ご気分はいかがですか?

おはようも何も、こんな窓もない部屋じゃ時間もわからないじゃない

それは申し訳ありません。ですが、この部屋に窓はつけられないもので

申し訳なさそうに謝るマルクトからそっぽを向きつつ、リルは考える。窓をつけられないという事は、やはりここは地下であるらしい。

それで、そこから出ていただける気分になりましたか?

出してくれるんなら、いくらでも出て行くけれど?

私の愛に応えていただけるのなら

恥ずかしげもなく愛などと口にする男に表情を歪めないよう気を付けながらも、リルは軽くしなを作った。

それなんだけどもう少し、条件何とかならないの?

と、申されますと?

いきなり自分のものになれって言われても、困るわ。だってわたしはあなたのこと何も知らないんだもの

淫魔らしい妖艶さで流し目を送り、甘くリルは囁く。

少しずつ知っていただければ結構ですよ

あなたはそう思うかもしれないけれど、人の時間はわたし達に比べて短いの。好きになった頃にはしわくちゃのお爺ちゃんなんて

自分で言いかけておいてリルは少しだけ逡巡し、

困るわ

控え目に、そう言った。

それに、こんな小さな円の中にいるのはとても退屈で、窮屈なの。ねえ、あなたの言うことは何でも聞くわ。だからここから出してちょうだい。どうせ縛られるなら、ベッドの上の方がいいの

私の言うことは何でも聞く本当ですか?

マルクトは少し悩むそぶりを見せながら、リルにそう尋ねる。

ええ。約束する。絶対にあなたの言うことは、聞くわ

意外と、チョロい。リルは内心ほくそ笑んだ。言うことを聞くなんて言う契約は悪魔の常套手段で、文字通り相手の言っていることに耳を傾けさえすれば良いだけの話だ。

わかりました。ではその契約で結界を、解きましょう

光の壁が取り払われるやいなや、リルは両手の爪を剣のように伸ばして襲いかかった。

左右三対の赤い爪がマルクトの首元を貫く寸前、しかしピタリと止まった。マルクトの口元が動き、小さく何かを呟いているからだ。契約によって、リルはそれを聞こうとしなければならない。

予想外の事態に、リルは一瞬己の影に目を走らせた。

こちらの小悪魔に期待しているのでしたら、それは無駄ですよ

いつの間にかローガンはマルクトの手の中にあった。彼は深く深く笑みを浮かべながら、それをぐしゃりと握りつぶす。弾け飛ぶ肉塊はさらりと闇の粒子となって消えた。

ローガン!

申し訳ありませんが、結界は二重に張らせてもらいました。貴女の力は元のままですがご要望の通り、窮屈ではなくなったでしょう?

マルクトはリルの爪を半ばからへし折ると、ぐっと彼女の腕を掴んだ。リルは反射的に振りほどこうとしたが、まるで万力の様に握りしめる彼の手はびくともしない。いくらリルの能力が落ちているとは言っても、その握力は魔術師をいや、人間の域を越えていた。

ついでにベッドも用意しました。ご希望の通りです

そのままマルクトはリルの身体をぐっと引き寄せると、いつの間にか用意されたベッドの上に彼女を押し倒す。

何なの、あなたは

言ったでしょう? リル。あなたを愛している男ですよ

低く唸るリルに微笑み、マルクトは彼女の身体の上に覆い被さる。

食いちぎるわよ

嫌悪感を隠しもせず、端的にリルはそう言った。

淫魔を舐めないでちょうだい。魔力を封じられたって、下の口でも指を骨ごと千切るくらいの圧力は出せるんだからね

ガチガチと歯を鳴らしながら、リルはそう凄んで見せた。

いいでしょう

顔をひきつらせつつも、マルクトはリルから離れる。

ですが忘れないでください。もう助けは来ない。あなたは必ず、私のものにして見せます

そういい残し、彼は再び部屋を出ていった。扉に、ガチャンと鍵がかけられる音がする。

出て行くって事は、結界はこの部屋よりも広いって事よね

結界というのは、自由に出入りできるものではない。出入りしてしまえばその結界は境界を失って崩れ去ってしまう。と言うことは、今はリルと同様にマルクトもその結界の中にいるということだ。

ローガンが死んで助けが期待できなくなった以上、自力で何とかしなければならない。あの役立たず、と心の中で罵倒しながら、リルは行動を開始した。

それでも彼女は微かに笑んで後編

ヤベッ

何がだ? 言ってみろ、今の俺は気分がいい。半殺しくらいですむかもしれんぞ

ふと呟くローガンに、Olはいっそ優しい声でそう言った。

やめてくれって、旦那が言うと冗談に聞こえねえ

当然だ、冗談でも何でもない

かき集めた情報から当たった魔術師はどれもこれも外れで、Olは明らかに余裕をなくしている。

分け身が死んだんだ。それも、どこにいるのかわかんねえまま

どこにいるかわからないのに、死んだことはわかるの?

ああ、これこの通りよ

ユニスの問いに、ローガンはひょっこりと生えた右腕を見せた。

俺の腕って存在を使って、もう一人の俺を作ってたからな。そっちが生きてるうちは、魔力を注ぎ込んでもこの腕は治らねえ。逆にそっちの方が存在しなくなれば自然とこっちに戻ってくるって寸法よ

意外に器用な事が出来るものなのだな

まあ、伊達に何千年も生きてねえってこった

待てよ。それなら、打てる手もあったんじゃないか。魔界を通れば、その繋がりを通じてリルの元へと辿り着ける

気弱な魔獣くらいなら射殺せそうな程に鋭い視線を投げかけるOlに、ローガンは慌てて弁明する。

無茶を言うなよ。そんな精細な探査を出来る悪魔なんているわけねえだろ。大体、どこの酔狂な悪魔がそんな事に協力してくれるってんだ。契約が有効なのはこっちにいる間だけだぞ

悪魔が現世でその実体を保つには魔力が必要だが、人と違って彼らは自力でそれを手に入れる事は殆ど出来ない。ゆえに悪魔は魔術師と契約し、対価として魔力を得る事によってその存在を保つ。

逆に言えば、存在することに力の必要ない魔界においては彼らを縛るものは何もないのだ。仮に現世でそのような命を受けたとしても、守る義理も義務もなく、そんな事に力を貸すような悪魔は滅多にいない。

しかしその言い方に、Olは別の意図を感じた。

酔狂な悪魔が存在すれば、可能とでも言いたげだな?

ローガン様を舐めんじゃねえよ。予備ぐらいは抜け目なし、だぜ

ローガンはそう言って、四本の腕を掲げて見せる。下側の左腕もまた、先端が失われていた。

だが俺は無理だぞ。俺がこっち側にいなきゃあ、繋がりが辿りようがねえ。つーかそもそもそんな技無理だからな

細い魔力の繋がりを探り、魔界側から門を開く。悪魔を狙って召喚するのにも勝るとも劣らぬほどの曲芸じみた操作が必要だ。悪魔は大量の魔力を持つがゆえに、そう言った小手先の技は苦手とする。

そんな事が出来るものは、Olが知る限りでもたった一人。

俺が行く

彼自身だけだった。

こんなもん、かな

木を組み合わせて作り上げた不細工なそれを見て、リルは複雑な表情を浮かべた。道具も材料もないから仕方ないとはいえ、酷い出来だった。ちなみに材料はマルクトが置いて行ったベッドだ。

折られた爪をナイフ代わりに使って加工したそれは、見た目としては台座のついた筒と言った風情のものであった。筒は斜め上に傾いて取り付けられており、前後に回転するようになっている。そして複雑な紋様が筒の先端から根元に向かって河のように掘られ、台座から地面へと広がっていた。

さーて、上手くいけばいいけど

リルはそれを、扉とは逆側の壁に向けて設置し、短く呪文を唱えた。今のリルは悪魔としての能力を全て封じ込まれていて、魔術を使う魔力もない。だが、魔力がなければ魔術を使えないというわけでもなかった。

自分の身体から取り出さなくても、魔力自体はすぐ足もとに大量にある。結界を形作る魔法陣から僅かに漏れる魔力を取り入れて、その力を用いて更に魔力を吸い上げる。

そうしてかき集めた魔力を一気に放つ砲ただの組み木ではその威力に耐えきれず壊れてしまう、一度きりの魔兵器だ。

雷鳴の如き凄まじい音と共に、魔力が放たれる。収束しきれなかった魔力はあちこちに飛び散り、埃を巻き起こしてリルはケホケホと咳き込んだ。

しかし、どうやら

成功、ね

ぽっかりと壁に開いた奥には、通路が姿を覗かせていた。

魔法陣というのは基本的に点対称でなければならない。勿論完全に対称というわけでもないが、扉の先に通路があるのなら、部屋を挟んだ逆側の壁の向こうにも同じように通路がなければそういった図形を描くことは不可能だ。そんなリルの読みは見事に当たった。

廊下に掲げられた魔法の松明を叩き壊しながら、リルは無暗に廊下を走る。思った通り、地下迷宮のようだ。Olのダンジョンほどの規模はないだろうが、抜けるのには相当苦労するだろう。

そして同時に、彼女はある一つの可能性に気付いた。道をゆっくりと戻り、今まで叩き壊した松明を拾い集め、組み合わせていく。彼女の予想が当たっていれば、時間だけはたっぷりとあるはずだ。

そうして材料と魔力を集めながら進んでいけば、やがて彼女の嗅覚はそこを嗅ぎ付けた。迷宮に住むものとして、そして迷宮を設計するものとしての勘が、そこが到達点であると告げている。

扉を蹴破るようにあけると、はたして、マルクトが両腕を広げてそこに立っていた。

迷宮にはどれだけ迷うように作り上げても、必ず通らなければ先に進めない道、というものが存在する。そうでなければ、それは迷宮ではなく単に出口の多い通路に過ぎないからだ。リルが逃げ出したことを察知すれば、マルクトは必ずそこで待つだろうという予感があった。

やあ、ずいぶん遅かったね、リル。もっとも女性の支度というのはとかく時間が

台詞の途中で、マルクトの顔面が爆発した。リルが即席で作った魔力砲が火を噴いたのだ。

更にどん、どん、どん、と立て続けに三連発。爆炎がまるで花のように咲いた。待ち受ける以上、その場を離れるわけにもいかない。その間に、リルはたっぷりと戦いの準備をさせてもらったというわけだ。

ふぅっ、これでちょっと溜飲は下がったかな

それはよかった

爆煙の中から現れたマルクトに、リルは目を見開いた。その身体は人の形を保っていたが、目はまるで紅玉のように輝き、口は引き攣れて頬まで裂けている。

おや申し訳ない。流石に形を保てなくなってきたようです

何なの、あんた!

見た目通りの人間だとは思ってはいなかった。だが、これはあまりにも人からかけ離れている。

それじゃ、まるで

そう。私は悪魔ですよ

リルの言葉を引き継ぐ様に、マルクトは口を開いて笑った。

それが、悪魔の様に恐ろしげなものであれば、リルは何とも思わなかったかもしれない。しかし、人としての貌を無くしてもなお人間じみた微笑みに、彼女はかえって恐怖心を感じた。

馬鹿な事を言わないで! 悪魔が悪魔を召喚するなんてこと、あるわけ

言いかけて、リルは息を飲む。自分がローガンに対してやろうとしたことは、そういう事だ。方法が洗練されているかどうかの違いはあれど、自分はマルクトと全く同じ事をしようとしていた。

そう。私達は、御同類なのですよ

めきめきと音を立てつつ、マルクトの身体が異形へと変化していく。

といっても私の場合は、人のまま悪魔になった変わり種ですけれどもね

全体的な造形としては、ローガンよりよほど人に近い。ただ腕が六本に増え、こめかみと額から角が生えているだけで、体躯はそれほど元の姿とは違いない。

だが、その身体から感じられる覇気と魔力はローガンと比してもなお凄まじいものがあった。

嘘でしょ!?

これほど強力な悪魔は、魔界全土を探してもそうはいない。それが人のように現世に存在しているなんて、にわかに信じられることではなかった。

さあ、リルさん。参りましょう。この先に、教会があるのです

教会?

そう。我々の永遠の愛を誓い合う、神聖な場所ですよ

そういって、マルクトは部屋の奥の大扉を押し開いた。

その先に広がっていた光景に、リルは息を飲む。全体的な造りとしては確かに教会の聖堂に近い。細長く奥行きのある部屋の最奥に祭壇が設置されている。そして椅子の代わりに、無数の悪魔がまるでモズの早贄のようにその胸を貫かれ、飾られていた。リルと同様にその力を封じられ、死ぬことも生きることも出来ずにいるのだ。

どうです? 貴女の為に用意した光景は

趣味が良すぎて反吐が出そう

悪魔同士に仲間意識というものは希薄だ。しかしそれでも、良い光景とはとても言えなかった。

何、貴女もすぐに気に入りますよ。さあ、これを

マルクトは祭壇の上に飾られた一際大きな悪魔の胸に指を突き立て、心臓を取り出す。悪魔は苦悶の声をあげながら、びくびくと身体を痙攣させた。悪魔はそのくらいでは死なない死ねない。

同時に、リルはマルクトの異常な魔力量の秘密を悟る。

我々の愛を誓う証です。さあ

こいつは悪魔を、喰っているのだ。

お食べなさい

マルクトはどくりどくりと鼓動する心臓を差し出しながら、後退りするリルへと腕を伸ばす。

その腕を、別の腕が掴んだ。

悪いがこの女は売約済みだ

マルクトの腕を掴んだ男は、もう片方の腕を振るい、すさまじい早さで紋様を虚空に描く。

お前は雌のオークでも抱いていろ

至近距離で放たれた雷撃が、マルクトを襲った。

すまん、待たせた

ずるりとリルの影から身体を引きだして、Olは苦しげに声を出した。

馬鹿、何で来たの!?

リルの勘が当たっていれば、それは何よりも避けるべきことだ。

それは勿論、私がお呼びしたからですよ

マルクトは無傷のまま、澄ました顔でリルの影に指をさした。

そこの小悪魔を使ってね

俺にも気付いてやがったか

小さなローガンが舌打ちする。

ようこそいらっしゃいました、魔王Ol陛下。あなたが来るとわかってました。他にここに来られる人材はいないでしょうから

マントをばさりと翻し、マルクトは恭しく礼をして見せる。

あなたに恨みはない。むしろ、感謝しておりますよ、陛下。あなたのおかげで、ただのインプであった私はこれほどの力を手に入れられた

少しずつ、少しずつ。気取られぬ程度にOlの配下の悪魔を食べて、マルクトはここまで強大になった。それほど大量の悪魔を使役できる魔術師など、大陸中を探してもOlの他にはいない。彼こそが、マルクトをここまでの怪物に育て上げたのだ。

ですから非常に心苦しいのですがしかしやはり、恋敵にはご退場願わなければならない

マルクトのマントがばさりと翼のようにはためき、指先が魔法陣を描く。

駄目!

リルの制止の声も間に合わず、マルクトの指先から放たれた光がOlの胸を貫いた。

なんだ?

痛みはない。苦しくもない。むしろ、力が溢れるような感覚に、Olは自分の両手を眺めた。そして一瞬の後に、何をされたのかに気付く。

魂を召喚したのか!

これであなたも、ただの人間と変わりません

Olは当然、魔術で作り上げた木人形、形代に宿った状態でここへと来ている。例え粉々に破壊されようと、魂が別の場所にあれば髪の毛一本切られた痛痒すらない。

だが、仮初めの身体であろうとそこに魂が入っていれば話は別だ。その状態で形代を破壊されれば、魂もまたそれにつられて砕け散る。

悪いが、ただの人間以上のものになったつもりなど一度としてなくてな

しかしOlはさして気にした風もなく、己の胸元に指を突き入れる。

べりべりと表面の皮を引きはがせば、木で出来たその身体には魔法陣が彫り込まれていた。探知を防ぐマルクトの術を無効化する為の、結界の中の結界。

古来より、怪物退治は英雄の仕事と相場が決まっておる

そこから光り輝く剣と共に、ユニスが飛び出してきた。

鋭く放たれる神速の一撃を、しかしマルクトは軽々と受け止める。彼の六本の腕には黒く輝く大剣と槍、そして片手剣と盾が掲げられていた。いずれも尋常のものではないと本能的に感じ、ユニスは身構える。

っていうか何なのここ、グロいよ!

周りの光景を見て、ユニスは悲鳴のような声をあげ、リルははっと気づいた。

しまった、ここじゃあ!

半死半生の悪魔が無数に散りばめられたこの場所は、魔界程ではないにしろ恐ろしく瘴気が濃い。それはOlの迷宮ですら比べ物にならない程だ。この場では悪魔であるマルクトは力を得、神性を帯びた英霊の力は減じられてしまう。

くっ、このっ!

そしてそれだけではなく、そもそもマルクトは強い。六本の腕を縦横に操る彼に、ユニスさえもが攻めあぐねていた。

スピナ!

ユニスの投げはなった小さな瓶から現れたのは、スピナだった。彼女は悪魔の天敵だ。魔喰いスライムである彼女は悪魔の身体を構成する魔力を喰ってどこまでも成長し、あらゆる魔術を無効化する。だが、それも。

知っておりますよ。あなたの弱点は

魔力そのものではなく、人であった頃の身体を元にした実体を持つマルクトには効果が薄い。その身の魔力を吸収されながらも、マルクトは手に瓶を取り出してスピナにふりかける。

彼女のスライム化が解除される条件塩水だ。それに気づいた時にはスピナの身体は即座に溶ける様にして、白い人の身体だけが残った。

危ない!

彼女に向けてぶんと振られる剣の一撃を、ユニスが受け止める。そこに、大剣と槍が突き刺さった。ユニスは目を大きく見開き、口から血が零れる。

ユニス!

貴女のお友達をあまり傷つけたくはない

優しい声色で、マルクトは甘く囁いた。ずるりと赤い糸を引きながら、ユニスの身体が崩れ落ちる。

貴女がこれを口にするなら、見逃しましょう。そうですね。私に愛を誓ってくれるなら、Ol陛下も生かしておいてもいい

マルクトの手の平からどろりと闇を滴らせながら、悪魔の心臓がどくどくと鼓動する。

Ol、私

よせ。下らんことは考えるな

悲壮な決意を瞳に宿すリルの頭を、Olはぽこんと拳で軽く殴りつけた。

悪魔を喰って強くなったつもりか。下らん

そしてマルクトを軽く睨み、溜め息と共に嘲笑する。

事実、手も足も出ていないではありませんか。陛下、彼女には貴方よりも私の方が相応しい。どうぞ、お引き取りください

Olの声を否定するかのように、剣が振られる。避けようもないその一撃は、しかし、空を斬った。

ユニス、スピナ、よくぞ時間を稼いだ

彼の身体は深く地面に沈み、マルクトの一撃を躱していた。否、地面が、床が、沈んでいるのだ。

お前はもう、俺の胃袋の中だ

Olが言った瞬間、無数の槍が地面から突き出てマルクトを突き刺した。

これはっ!

容易くそれを打ち払いながらも、彼は驚愕に目を見開く。

魔力も通らぬただの迷宮を手懐けるのは、さほど大した事でもなかったぞ

柱が、床が、壁が、天井が、部屋の全てがマルクトに牙を剥いた。

ぱっくりと口を開けた床のアギトが彼の脚をがぶりと噛んで、それを振り払う隙に壁から伸びた槍が全身を突き刺す。柱は大蛇の様にその身をくねらせて縛り付け、天井が轟音を立ててマルクトを押しつぶした。

小賢しい!

焼けた石炭の様に爛々と瞳を光らせながら、マルクトはそのすべてを大剣で叩き伏せる。

坊や、お次はこっちだぜ

ローガンがおどけた口調で宣言する。Olが迷宮を掌握したという事は、その形を持って作られていた結界も効力を無くしたという事だ。

磔にされていた悪魔達が、恨みを晴らすべく一斉にマルクトに襲い掛かった。

この、雑魚共がァ!

槍が悪魔達を薙ぎ払う。しかし彼らは腕をもがれ、脚を斬られ、首だけになりながらもマルクトに齧りついた。そして奪われた己の魔力を取り返していく。

グ、ガ、ガ! 莫迦め、餌をわざわざ運んでくれるとはな!

マルクトの全身に牙が生え、彼は己に齧りつく悪魔達を逆に噛み殺そうと無数のアギトを広げる。しかしその動きは途中でピタリと止まった。

何だこれは!?

Olさまっ、結界張り直し終わったよ、ほめてほめてー!

マリー、あまりはしゃぐでない。それに結界の半分以上は私が張ったものだからな?

マリーとメリザンド、そっくりな姿の二人がきゃいきゃいとはしゃぎながらOlに駆け寄った。Olが迷宮を掌握した今なら、転移の魔法陣で幾らでも援軍を呼べる。

マリー、メリー、あんた達まで

きたのは勿論、わたし達だけじゃないよ

ゴキリ、ゴキリと、まるで牛の大腿骨を折る様な音が鳴った。

皆リルの事が大事だからね

それは、二人の巨漢が拳を鳴らす音だ。

まあそれもあるがそれ以上に、我が娘を

妹を、可愛がってくれた礼をしないとなあ?

あのー、お父様、お兄様、あたしは大丈夫だから、くれぐれも、くれぐれもやりすぎないようにね?

Olの魔術によってすっかり傷を治されたユニスが控えめに言うが、ウォルフとザイトリードの耳には届いたかどうか。

わかったか? お前は随分強くなったつもりのようだが、個の力など下らぬものだ

冥土の土産に、Olは死すべき運命の悪魔へと言葉を投げかける。

数の暴力にかなうものなど、いない

そこはせめて絆の力とか言いなさいよ!

リルの突っ込みと共に、どうと大きく音が鳴り響き。

怒れる英霊二人の立っていた場所より奥は、さらさらの砂になるまで、磨り潰された。

全く、無茶するんだから

自分の迷宮に帰った瞬間、Olは倒れるように眠りについた。魔界の瘴気はあらゆるものを蝕む。形代に入っていようと、悪魔ならざるOlが渡るのは強酸性の海を泳ぐような行為に等しかった。

死んじゃったら、どうするのよ

その琥珀色の髪をさらりと撫でて、リルは呟く。よほど消耗したのだろう。彼にしては珍しく、本来の肉体に戻って精神と身体を休めていた。

悪魔、か

リルの手の中には、鈍く輝く赤い宝石が握られていた。マルクトの心臓だ。英霊二人の攻撃で原型を留めていた頑丈さだけでも驚嘆に値するのに、彼は最後の最後、密かにそれをリルに渡した。

もし、彼と共に永遠の時を望むなら、これを食べさせなさい

そんな言葉を残して。

彼は人の記憶と意思を持ったまま、悪魔となった。もしOlもそれが可能だとしたらそんな誘惑が、リルの心の内を過る。

彼女はじっと、Olの唇を見つめた。規則正しく寝息を立てるそこは酷く無防備で、リルがそこに心臓を放り込むのを邪魔するものはいない。

やめた

しばし逡巡しいや、本当は、悩むまでもない。

Olにそんなものを食べさせる気は、さらさらなかった。ただ、もしそうだったらどんなだろうと、想いを巡らせただけだ。

何だ、食わせないのか

不意にOlがそう言って、彼女の手からマルクトの心臓を奪い取った。

という間もあればこそ。彼はそれをパクリと口に放り込んでしまった。

ふむ。別段変わった様子もないが

もぐもぐと咀嚼しながら、Olは呟く。と、突然、彼は大きく目を見開いた。

ぐ、あ!

そして呻きながら、地面にうずくまる。ばりっと背中を突き破って腕が生え、メリメリとその額から角が伸びていく。

またお会いできましたね、リル

そして、瞳を爛々と輝かせながらそう笑んだ。

その笑みが、スパンと真っ二つに、割れる。

ユニスの振り下ろした剣が、彼を頭から股間まですぱりと両断していた。

なるほど、やはりそうなるか

ふあ、と欠伸をしながら、横たわっていたOlは上半身を起こす。そして、マルクトとなった己の形代をじろじろと眺めた。

まあ、そうそう上手い話があるわけもないだろう。お前は自分の事をマルクトだと思っていたのかも知れんが、それもどうなのだろうな少なくとも俺の知る奴は、そんな男ではなかったぞ

そん

何かを言うよりも早く、マルクトはユニスの剣によってバラバラに切り刻まれて、今度こそ世界から消滅した。

ご苦労だったな

うん。あたしも仕返ししたかったし

からりとそう言って剣を収め、ユニスはリルに視線を向ける。

貸し一ね

そしてそう言ってパチリと片目を閉じてみせると、転移して消えた。

あ、あの、Ol

二人きりで部屋に残され、何となく気まずい思いでリルは会話の糸口を探す。謝るべきか、それとも他に何か言うべきか

気にするな

それを彼女が決断するより早く、Olはそう言った。

どうせ俺の魂は、死ねば間違いなく魔に落ちる。お前の同類になるのも、まあ、悪くはない

でも、それはOlじゃないもの

それはもう何度も考えた事だ。リルがラズの記憶を引き継いではいても別の存在であるように、Olの魂が悪魔となっても、それはもはや別の存在だ。記憶だって引き継ぎはしない。

Olも頷き、それを肯定した。

お前もラズではない。だが、俺はどちらも愛したいや、今なお、愛している。同じ相手に三度巡り合い、三度惹かれるのも悪くはないとは思わないか?

それがリルへの慰めの言葉である事はわかった。

うんそうだね

しかし、リルはそれに頷く。

そんな事が起こる可能性は天文学的に低いし、ピンとはこない。

うん。悪くないかも

それでも彼女は微かに笑んで、遠い未来に思いを馳せた。

9.老いたる魔王と若き青銀の魔女

一巻終了後、Web版で言うと第11話魔王を始めましょう直後の話です。

えっと

白のビショップで黒のルークを倒し。

これ、勝負ついた?

ウィキアは半信半疑の面持ちで、そう尋ねた。

ああ。ここから四手でチェックメイト。お前の勝ちだな

Olにそう言われても、いまいちしっくり来ない。

確かにその読みはウィキアの方も同じなのだが、自分がOlにチェスで勝つという事に現実味は全くなかった。

手を抜いたりしたの?

何故そんな事をせねばならん。正真正銘、お前の勝ちだ

駒を片付けながら答えるOlはどこか不満そうで、ウィキアはようやく自分が勝利したことを実感し始めた。

勝てるとは思わなかった

ぽつりと漏らしたその言葉は、本心である。

別に不思議な事ではない。所詮机上の遊戯だ。一対一の勝負、手持ちの駒は互角で、その動きは全て互いに見える。奇種奇策の類は用いにくい。その条件でなら、お前の方が俺より上というだけの事だ

だからこそ相手を命じた、とOlは言う。

チェスの相手をしろと言われた時には今度は何を企んでいるものか、とウィキアは思ったが、二重の意味で肩透かしを食らった気分だった。

それでも信じられんと言うならそうだな。一つ、褒美でもくれてやろう

褒美って

どうせまた厭らしい事をするつもりだろう、とウィキアは身構えた。

既に彼女は心身ともにOlのものだ。請われれば否やはないし、別段、嫌というわけでもない。むしろ抱く時は普段よりも優しく扱ってもらえるから正直悪い気はしない。

だがそれを褒美と言われれば、嬉しくなどないと虚勢を張る程度の意地はまだ残っていた。

何でもいいぞ。流石に首を寄越せと言われれば困るが、そういった事でなければ例えば、呪を解いて地上に戻りたいと言うのなら、それでもいい

だから、Olの言葉はウィキアに強い衝撃を与えた。

本当に?

無論その場合は、この迷宮の記憶は消させてもらうがな

思ってもみない申し出に、ウィキアの頭は酷く混乱していた。

Olが本気で言っているのかさえ判別できずじっと彼の目を見ても、いつも通りの至極生真面目な表情で見つめ返されるだけだ。

別に、今すぐ決めずとも良い。存分に悩んでこい

そんなウィキアの心中を見透かしたかのように、Olはそう言った。

はあ

気づいた時には、ウィキアは自室のベッドに突っ伏していた。

頭の中を、Olから投げかけられた言葉がぐるぐると回っている。

考えるのは、その真意は何か、という事だった。

あれだけ策を巡らせて己のものにしたウィキアを、そう易易と手放すものなのだろうか。何かの罠や策略なのではないか。

そう思う一方で、ウィキアの思考の冷静な部分が、それはありえない、と告げる。

ウィキアは既に真名をOlに伝え、その身に刻印さえ刻まれた身だ。身体も、心も、魂さえOlのものと言っていい。自由意思だけは残されているが、それすら彼がその気になればすぐさま奪ってしまえるものでしかない。

ウィキアに何かをさせたいのなら、別に策など弄せずともそう命じるだけでいいのだ。

ならば、何故なのか。

本当に、額面通り解放してくれるつもりなのだろうか。

いや、そんなことがあるはずがない。そこで、思考はまた最初に戻る。堂々巡りだった。

どうしたんですか?

鈴の音のような心地良い声に顔を上げると、透き通った青い瞳がウィキアを映していた。愛らしい顔立ちを心配そうに歪めて見つめるのは、かつての仲間であり、今は同僚であるShalだ。

そういえば、自分が解放されるとして、彼女たちはどうなるんだろう。

ふとそう思い立ってから、今までそこに思考が向かわなかったことにウィキアは自分で驚いた。

初めて囚われた時には、仲間をどう逃すかばかりを考えていたはずなのに。

Shal。もしかしたら、解放して貰えるかもしれない

Shalはパチパチと大きな瞳を瞬かせる。

地上に戻りたいなら、そうしてもいいって

Olの口ぶりからすれば、Shalやナジャも一緒に解放してもらえるのではないか。

そんな軽い思いで口にした言葉に、Shalの目からボロボロと涙が溢れ始めた。

あっ、あたっあた、しっ、は、もうい、いら、ないっ!て、こと、ですかあっ!

涙は見る間に大粒になり、Shalはしゃくりあげながらそう叫ぶ。

えっ、いや、そういう訳じゃないと思う。飽くまで、出て行きたいならって事で

思いもよらない反応に、ウィキアは慌ててShalを宥めた。

でも、でもっ

だが、Shalの涙は止まらない。

出て行ってもいいってことはっ!Ol様にとって、居なくてもいいってことじゃないですかっ!

ハンマーで殴られたかのような衝撃に、ウィキアは思わず身体をよろめかせた。

自分がショックを受けている、その事自体にショックを受けているのだ。

ShalはOlに、必要とされたいの?

あたり、まえ、じゃないですかあ

服の袖で涙を拭いながら、Shalは答える。

大丈夫よ

その頭をぽんと撫でながら、ウィキアは言った。

そう言われたのは私だけだから。Shalの事は手放したりしないでしょう

そうで、しょうか

ひくひくとしゃくりあげながらも、Shalはどうにか落ち着きを取り戻す。

笑みを浮かべて頷きながらも、ウィキアの心中は複雑だった。

裏がなく、言葉通りに解放されるなら、それは自分はもう不要ということではないか。

そんな事は、認めたくない。

堂々巡りの思考が隠していた本音を、Shalに暴かれてしまった。

彼女のように取り乱すほどではないが、それはずいぶんと気の重くなる事実だった。

ウィキアさんはここを、出て行っちゃうんですか?

目尻に光るの涙を指で拭いつつ、Shalは問いかける。

肯定ではなく、思案しつつ言葉を返し。

Shal、考えるのを手伝ってくれる?

ウィキアの言葉に、Shalは首を傾げた。

決めたわ

数日後、ウィキアはOlの元を訪れてそう言った。

Olはさして興味もなさそうに問い返す。

そんな彼に、ウィキアは用意していたものを叩きつけた。

なんだ、これは?

テーブルの上に置かれたのは、チェス盤に似た木の板だ。

ただしマス目の数が多く、色も塗り分けられていない。

ただ木の板の上に、縦横九マスずつが区切られていた。

私が考えたチェスの一種よ

答えながら、ウィキアは袋から木で作った駒を取り出して並べていく。

こちらもチェスとは違い、色はない。しかし向きでどちらの駒なのか区別できるような形になっていた。

普通のチェスとの違いは、駒の種類が少し多いことと倒した駒を、自分の駒として扱える事

興味をもったのか、Olは身を乗り出して駒を手に取りしげしげと見つめた。

願いは、これで私と三回勝負してもらうこと

駒を並べ終え、ウィキアは言う。

一度勝つごとに一人、私達を解放してもらう。そういう勝負を

別にそんな勝負をせずとも、お前達三人纏めて解放しても構わんぞ

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